HOME > 紀行文「目次」 > 「佐渡の隠れた魅力ポイント」地図と目次 > 2 能舞台と「大山隧道」
旅行日 2017/6/26 2017/12/5 UP
ついでに寄った「佐渡の木造校舎」30校
佐渡一泊目は、道の駅「芸能とトキの里」で車中泊しましたが、こんなことやるから、佐渡のホテル等がツブれて行くんだろなぁ・・すんません。
夜に来て朝早くしか居ませんでしたが、この「道の駅」も何となく活気がないよおな気がする。
「道の駅」の目の前に有る「本間家能舞台」を久々に見に行きました。
外見・敷地内は、以前とほとんど変わっていませんが、違う所は能舞台周囲に新たに低い柵がしてありました。
能舞台の雨戸も閉まっており、常時ではないですが以前は戸を外して中で一人で練習をしている女性を見た事もあります。
で・・観光客の人達は、たいてい「ふぅ~ん・・・」と思ってチラッと外見を見て、トットと次の観光地へ行くでしょう。
でも、あんまり知られていないのですが、この能舞台の床下には壺が二つ対になって埋まっているんです。
はい、宝物がギッシリと詰まった・・・イッヒッヒッヒッ・・・と言うのはウソです。
能舞台で舞っている時に、その足音が壺で反響して響かせるために埋めてあるそおです。
以前は床下を覗くと、すぐに壺の存在が分かったのですが、今では柵もあるし床下も板で塞いであり、正面方向からは壺の存在が見えず、あれっ・・こんなのだったかな?。
能舞台の周囲をウロつくと、横から床下が見える所が有りました・・が真っ暗で壺の存在がわかりません。
確かに有ったはずだと思い、その付近に向かって安物のデジカメでフラッシュ撮影すると有りました・・・良かったなぁ。
何で床下を囲むようにしたのかは、わかりませんが、心無い人に石でも投げられたり傷をつけられたりするのを防止するためでしょうか。
そおいう事ならば、この壺の存在を掲載したのはマズイかもしれんが・・・
以前佐渡に居た時、一度だけ金井町・羽黒神社の「薪能」を見に行ったことがあります。
夕暮れ時に行くと、能舞台周囲に二つの篝火が炊かれており、番をしているジサマが時々薪を放り込んでいますが、薪が悪いのか煙のため目が痛くかった。
確かに昔は電灯も無く、篝火を頼りに能を舞っていたのでしょう・・・しかし煙たかったろおなぁ。
σ(*_*)は学が無い人間なので「薪能」は話の種に・・と思って行っただけで、能の演舞を見てもサッパリわからず、何を言って表現しようとしているのかもわかりませんでした。、
煙で目が痛いので30分ほど見て帰りましたが、そのスジの興味が有る人だったら感激して見たかったと思う。
佐渡ケ島のだいたいの位置分けは、北側を「大佐渡」、南側を「小佐渡」と言います。
「大佐渡」の海岸をさらに東側(新潟方面)を「内海府」、日本海側を「外海府」と呼んでいます。
で・・これから行くのは、「大佐渡」の「内海府」より「外海府」を巡って大佐渡を一周し、次に「小佐渡」を一周して両津へ帰ります。
正直言って、「内海府」はそんなに「スバラシイ・・」という景色風景は無く、変化にとんだ景色・風景を楽しむのならば佐渡の最北端「弾崎」より「外海府」が良いです。
やっぱり「外海府」の方が日本海の荒波をマトモに受け、「内海府」は島影になるのでそんなに波がキツイ事が無いからでしょうか。
両津より弾崎へ向かっていくと、海の上に「黒姫大橋」があります。
一回目の佐渡勤務の時は、この「黒姫大橋」無く、当時は長い・暗い・狭いという三拍子そろったトンネルを通って弾崎へ行きましたが、二回目の勤務の時はトンネルが廃止され「黒姫大橋」が出来ていました。
もうだいぶ以前の事なのでトンネルの名前を忘れて「黒姫トンネル」だったかなぁ・・と思ってネットで調べると「山さ行がねが」というブログに掲載されており「大山隧道」と言うらしい。
このブログ主の方は「古い道路・配線・水道・橋梁」を主として探索されているよおで、σ(*_*)の「廃校・木造校舎」探索とある意味では趣味的に似ていると思う。
当時は「大山隧道」入り口に信号機が有り、その待ち時間が長く10分位待ってたように思う。
で・・当然そおなると信号を無視してトンネルに突入する車が、たまに居ましてなぁ。
「大山隧道」内は、先にも記載したように暗いのに加えて狭く、トンネル内では擦れ違いが出来ず、スッタモンダして、どちらかがバックしてトンネルの外まで出るか、少し広くて明るいロックシェド付近で車を擦りながら行きかうしかありません。
しかも、あぁたぁ・・一番長いトンネルは直線では無く、途中で少し曲がってました。
これは、お互いの入口からトンネルを掘っていたら、少しズレていたからだ・・という話を聞きましたが、真偽のほどはわかりません。
一度なんか大型観光バスがトンネル内で止まっており、スッタモンダしてたよおですが、どちらが悪いのかはわかりませんでしたが、あの時は相手側の車がバックしたように思う。
なもんで、「大山隧道」に突入する時は、入口で一度警笛を鳴らし、ホンマにトンネル内に車が居ないかを確かめて進入し、もしトンネル内から警笛が聞こえたら入口で待ちました。
さらにトンネル内を走っていても、信号無視して来るヤツが居るかもしれないので時々警笛を鳴らして、こちらの存在を知らせます。
もし相手からの警笛が聞こえたら、こちらに優先権が有るんじゃ・・とばかりにメチャクチャに警笛を鳴らして通るのが佐渡住人のツウのやり方でした。
一度限りの観光客は、知らなかったでしょうねぇ・・トンネルが曲がってなく一直線だったら、相手の車の存在がわかるのですが・・・
そおいう事を知っている世代は、もう50才代以上で、時代が過ぎれば昔「大山隧道」というのが有り、こんな風にして通ったという事も忘れ去られるでしょう。
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佐渡紀行をした時には、同時に「佐渡の木造校舎」も訪れましたので、そちらも参照していただければ幸いです。
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