HOME > 紀行文「目次」 > 「佐渡の隠れた魅力ポイント」目次 > 4 弾崎遊歩道
旅行日 2017/6/26 2017/12/12 UP
ついでに寄った「佐渡の木造校舎」30校
「二ツ亀」の風景は海水浴場からよりも、高台に有るホテルかキャンプ場から見た方が壮大な感じがつかめます。
以前は高台のホテル近辺には「福寿草」が至る所に咲いてたのですが、今はどおなったかなぁ。
高台までの上がり下がりがキツイので、そのまま遊歩道を歩き「弾崎」へ向かいました。
ちなみに潮の満ち引きにより「二ツ亀」へ渡れる事が有り、聞く所によると昔「二ツ亀」で火事が有り、それ以降「二ツ亀」には「マムシ」が居ないそおです。
あっ・・はい、佐渡には「マムシ」が居ました・・今は居るかわかりませんが・・・
「藻浦」集落からは、「弾崎灯台」が高台に立っているのが見えます。
「二ツ亀」~「弾崎」遊歩道は、「藻浦」集落を突っ切り、そのままS字カーブの坂道を上がって行けば「弾崎灯台」方向へ行きます。
しかし、そのS字カーブの道を上がっている途中で、海岸沿いに細い道が続いてるのが見えると思います。
実はこれ遊歩道なのですが、観光パンフレットにも、おそらくネット等でも紹介されていなく、σ(*_*)が今回初めて紹介すると思われ、勝手に名付けた「幻の遊歩道」なのです。
σ(*_*)は、この「幻の遊歩道」を数回歩きましたが、時間の都合でいつも弾崎灯台の真下より少し行った付近で引き返してました。
遊歩道は、自然の破壊のままにされていますが、歩き困難箇所は無く、風景としては「願」~「二つ亀」間の岩場に似ており、むしろそれよりも広く明るい感じがして、景色的にはこちらの方が良いと思う。
おそらく昔「藻浦」~「鷲崎」間の遊歩道を作ったのでしょうが、財政不足なのか、遊歩道の一部が壊れやすい箇所が有ったのでヤンピしちゃったのか、今では全く知られていません。
「google」写真で確認すると「鷲崎」へ行く途中で切れており、ホンマは時間が有れば今回こそ最後まで行って確かめたかったのだが、なんせ天候が悪かったので・・・。
惜しいなぁ・・・「鷲崎」まで一周できれば、もんのすごく景色が良く「佐渡の荒海」というイメージにピッタシの遊歩道なのだが。
今では佐渡でもこの「幻の遊歩道」存在を知ってる人は少なく、おそらく知っているのは地元「藻浦」「鷲崎」集落の人だけだと思う。
最初に佐渡へ行った時は、「弾崎灯台」に人が住んでいましたが、二度目の佐渡の時は無人化されていました。
二度とも四角い二階建ての建物が有りましたが、灯台の位置は老朽化したためか微妙に移動して設置されたよおです。
で・・たぶん今となっては貴重と思われる、それ以前の昔の写真が有りました。
また、その頃スケッチした物もあり、ホンマにお恥ずかしい作品で公表したくないのですが、今となっては当時の施設・状況がわかるだろおと思い掲載します・・「下手くそ」と言って笑わないでね。
右の遠近感の無いスケッチは、気象観測舎で周囲は芝生に囲まれた広場で百葉箱・雨量計等が残ってました。
最初に佐渡へ行った時は、その業務はしておらず施設だけが残っており、やがてそれもブチ壊されて更地になり無線鉄塔が設置されました。
「弾野フイルドパーク」に「喜びも悲しみも幾年月」の像が立っており、「弾崎灯台」はその映画舞台地になりました。
しかし、実際に弾崎灯台では撮影されておらず、映画で撮影された灯台はどこの灯台かわかりません。
ただ映画・主人公が「弾崎灯台」へ赴任する箇所で、一瞬だけ遠方から「弾崎灯台」が写っており、その箇所はスケッチ「大根畑」の電柱付近より撮ったと思われ、そこからの風景が上記・絵葉書のような全景的な感じでした。
今となって当初より残っている物としては、灯台を囲むコンクリ製の囲障だけです。
この囲障もけっこう広く設置されていたのですが、今はホンマに灯台を囲む箇所だけのよおです。
最初、佐渡に来た時、海側の囲障一部にだけ、鏝で富士山と「寿」の字が描いてありました。
へえぇぇ・・そおいう風習が有るのかな・・と思って建築屋さんに聞いてみると、しばし腕組して考えた後「そおいう事は有り得ない。なぜなら作った後で必ず検査を受けるので、そのような物が描いてあると不合格」になる」と言われました。
それもそおだなぁ・・と思ったのですが、現実に描いてあったのを見たのですがねぇ・・二度目に佐渡へ来た時には、その囲障は無くなっていました。
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佐渡紀行をした時には、同時に「佐渡の木造校舎」も訪れましたので、そちらも参照していただければ幸いです。
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