2013.10.31 旅行 2014.5.5 UP
浦川橋を渡って少し行った所に、水がドンドコと出ている近くに「稗田山の崩壊受難者の碑」が有り、側には大きな「稗田山の大崩壊」写真パネルが有ります。
想像以上に広くて大規模な山の崩壊だったのですねぇ。
今朝、通って来た「来馬」集落の位置も示してあり、この「稗田山の大崩壊」で川を塞き止めて被害を起こしたのが、よぉ~わかります。
側の道路はダンプカーが、ひっきりなしに通っていましたが、今も「稗田山の大崩壊」復旧作業をしてるのでしょうか?
そのダンプカーが通ってる道を少し行き、分かれてカーブになってる道を行くと、いかにも村外れに有りそうな大木の下に、石仏が数体有って絵になりますなぁ、電柱がジャマだけど・・
上の「石坂」集落へ上がる道を行き、人家が有る付近のT字路で迷った。
頼りの地面に書いてある「塩の道」の字は消えかかっており、たぶんこの方向だろなぁ・・と思って上がったら車道に出ました。
車道に出た箇所では、今来た小道方向への入口を示す標識が見当たらず、反対方向から来る人は気を付けないと、そのまま車道を歩くかもしれない。
まぁ・・そのまま車道を歩いて行っても、浦川橋へは行くようだが・・・・
車道へ出た対面には、これから上がる細い坂道が有り、一見すれば人家へ行く道のように思えますが、これは車道から標識が見えたのでわかりました。
σ(*_*)は最初、その標識に気付かず、てっきり車道を歩くものだと思ってたのですが、越後屋がその道をドンドン歩いて行くので、アレッ?と思ったら「だって標識が有る」と言われちまいました。
さすが老眼だが遠くの物を目敏く見つけたり、損得勘定を素早くする能力だけは大したモンだ。
その他は、あんまり役に立たんで、モンクばっかし言うが・・
山道に入って石坂峠らしい所に「サイの神」の標識があります(一番上の写真)。
しかし、その付近を見渡しても標識杭だけが有り、神様らしい物が見当たらず、どこかへ夜逃げしたのでしょうか?
山道を下って「池原」集落に入り、あれが池原分校跡かな?・・と思う建物が見え、ちょうど家から出てきたジサマがいたので分校の事を尋ねると、「今は石碑しかなく、建物は新しくキノコ栽培用に作った物だ。」と言います。
そおなのかぁ・・建物はいかにも「元は分校でした」という感じがしたので喜んだのにぃ。
石碑には「南小谷小学校 池原分校 ここにありき」と彫ってあります。
「ここにありき」という最後の文面が、いかにも「だれが何と言おうと、何が何でもここに「池原分校」が有ったのだぞぉ・・忘れるな」という思い入れを感じさせます。
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