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「オメガ森林公園」コイル舎跡地、対馬 2019/5/18 旅行


「オメガ」と航路標識測定船「つしま」/対馬

オメガ森林公園

 「オメガ森林公園」案内図、対馬      「オメガ森林公園」オメガ局の写真、対馬
  「オメガ森林公園」オメガ鉄塔姿図、対馬

 「オメガ森林公園」というのが舟志湾の岬に有りますが、たぶん「比田勝」付近に住んでいる人以外は、対馬在住の人でも「オメガ」は知らなく、公園の存在も知らないかも・・と思います。「オメガ森林公園」遊具、対馬

 「オメガ」と聞いたら高級時計の事かと思う人も居るかもしれませんが、50年ほど前には、対馬「比田勝」の地に「オメガ局」という電波航法を運用する無線局が有りました。

 「オメガ」を簡単に説明すれば、電波を受信して自船の位置がわかるシステムで、地球上の8局で全地球上をカバーする「電波航行標識」であり、その一局が対馬「比田勝」で運営されていました。「オメガ森林公園」オメガ局配置図、対馬

 当時は「ロラン」「デッカ」等という電波標識も有りましたが、有効範囲は一部地域しかカバーしていなかったので、全世界をカバーする「最後の電波標識」=「(ギリシア文字の最後文字より)オメガ航法」と名付けられました。

 しかし「GPS」が普及して「オメガ・システム」はその役目を終え、運用開始約20年後に解体され、その跡地が現在の「オメガ森林公園」となっています。

 「オメガ」鉄塔は地上高約455mで、東京タワーよりも高く当時日本一・・いや東洋一の高さだったと聞いてます。

「オメガ森林公園」よりの展望、対馬   「オメガ森林公園」コイル舎跡地を望む、対馬  「オメガ森林公園」無線舎跡地、対馬

 「オメガ公園」は、キレイに整備されていますが、どれほどの人が、この公園へ遊びに来るかなぁ、たぶん自分のような関係者でないと来ないと思う。「オメガ森林公園」空中線鉄塔内部、対馬

 自分が対馬「厳原」で勤務していた時は、「オメガ」は建設中でまだ運用されていなかったように思い、当時「オメガ局」に勤務した人達は優秀な人達が選抜されたようで、長官賞を貰った同期生も勤務し、将来の超エリートの人達でした。

 後日、「オメガ局」に勤務していた人の話を聞くと、

1 「取扱説明書」は全て英語、アメリカが建設し日本がその後を引継いで運用したため。

2 鉄塔内に頂部へ行く梯子があり、頂部まで上がるのには腕が痛くなり、途中で休憩場所が設置されていた(運用開始後は、電波が出ているので鉄塔内部へ入れない)。


「オメガ森林公園」オメガ下部碍子写真、対馬 「オメガ森林公園」コイル舎跡地2、対馬 「オメガ森林公園」碍子、対馬

3 鉄塔を支える下部碍子について、碍子製造会社が「要求される碍子仕様では、とても作成出来ない」と言ったが、設計担当者(日本人)が「その仕様をクリアしなければ絶対にダメで、出来なければオメガ運用に責任持てない」と言い張って、碍子製造会社がコンジョ入れて何度も試験し、何とか要求通りの仕様碍子を作成した。「オメガ森林公園」コイル舎よりの展望、対馬

4 鉄塔頂部は無風状態でも常に2~3m揺れており、そんな状態でも鉄塔から乗り出して、片手で手摺に掴まって空中で「大の字」の形になった記念写真を撮った人が居る。

5 「オメガ局」が運用され始めると、付近の民家電灯が「オメガ局」の機器リレー動作によって周期的に暗くなったり明るくなったりした。


 当時「比田勝」での海上保安庁の職場は、「オメガ」「ロラン」「デッカ」「比田勝航路標識事務所」「比田勝海上保安署」が有り、海上保安庁職員総数は、「比田勝」在住の海上・航空自衛隊の合計総隊員数よりも多かったそうです。

航路標識測定船「つしま」と「グリーン・フラッシュ」

航路標識測定船「つしま」船首 航路標識測定船「つしま」。東京出航時 航路標識測定船「つしま」、東京出航
航路標識測定船「つしま」、船員手帳
 海上保安庁に航路標識測定船「つしま」という灯台専用の船が所属してましたが、代替え船は建造されず一代限りの船でした。

 「航路標識」とは、早い話が「船舶の目標となる標識」で、「光波標識(灯台等の光を利用)」「電波標識(オメガ・デッカ・ロラン等の電波を利用)」の二つに分類されていました。

 そこでなぜ「つしま」という船名を付けたか・・・それは「つしま」建造当時、対馬に全ての航路標識(光波・電波)が存在していたからと聞きました。航路標識測定船「つしま」、アッパーブリッジ

 灯台専用船としては過去に「若草」「宗谷」がありましたが、「オメガ」の電波測定に対応するためだけでなく全ての航路標識の測定する目的で建造されました。

 参考として測量船「昭洋」は「つしま」の設計図を借用したそおで、姉妹船として同じような船体をしています。航路標識測定船「つしま」後甲板付近

 航路標識測定船「つしま」は、年2回遠洋航海をして電波測定をしており、その際に若手の灯台職員数名を臨時測定員として乗船させてました。

 乗船条件としては二級無線技術士以上の免状保有者、及び職場からの推薦がある者で、ある意味「全国の中から選ばれた者」だと言われました。

 自分も一度推薦を受けたのですが家族が反対したので辞退し、二度目に推薦にされた時は受けて「つしま」に乗船し、初めて「船員手帳」なる物を手にしました。航路標識測定船「つしま」アッパーブリッジ

 当時、「航路標識測定船」という役目の船は世界に存在せず、遠洋航海で外国訪問した際に船の役目を説明するのに「あらゆる電波を測定している」と言ったため、電波を傍受する情報収集船と思われた事もあったそうです。

 情報収集船かと疑われれば、その通りで、ブリッジマストに林の如くアンテナが立ち並んでいましたからねぇ。
      
 遠洋航海の期間は約2か月間、やはりタダで仕事で行くよりも、自費で外国へ遊びで行った方が良かったように思う。

 ただこの航海で、日没・日出時の一瞬に気象条件等が合わなければ絶対に見られないという、奇跡と言われるほどの「グリーンフラッシュ」現象を見る事が出来ましたが、永年船に乗っていても、なかなか見れないものだそうです。

「琴の大銀杏」と「ナヒモフ号の砲身」

「琴の大銀杏」、対馬 「琴の大銀杏」根本、対馬        「茂木海岸」、対馬

 「厳原」へ向かう途中に「琴の大銀杏」が有り、「琴」と言うのは地名で日本最古の銀杏らしい。

 「茂木海岸」に「ナヒモフ号」の砲身が有るので見に行きましたが、あいにくの風雨であまり写真が撮れなかった。

 知らなかったのですが、「ナヒモフ号」が沈没した時に乗組員達がこの茂木浜に上陸したそうで記念碑が有りました。

「茂木海岸・ナヒモフ号の砲身」碑、対馬   「茂木海岸・ナヒモフ号の砲身」、対馬  「茂木海岸・ナヒモフ号の砲身」2、対馬


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。


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