HOME > 紀行文「目次」 > 「国境の島、対馬」紀行文の「目次・地図」 > 17 小茂田
2019/5/18 旅行
日本歴史上で有名な「対馬・小茂田浜」・・と言っても、何それ・・どこの海水浴場・・と思われるかもしれません。
この対馬・小茂田浜は蒙古船団が日本に侵攻した一番最初の地で、蒙古襲来「元寇」と言った方が分かり易いかもしれない。
小茂田浜沖合に蒙古軍3万人が乗った900隻の船が沖合を埋め尽くすのに対し、迎え撃つのは当時対馬の守護代「宗」家一族郎党わずか80数騎。
そりゃあぁ・・数の上から言っても、たちまち負けちゃいますわなぁ。
それにしても不利とわかっていても、万の敵にひるむ事なく戦いを挑んだ「宗」家一族はエライと思う。
対馬を襲った蒙古軍は壱岐でも荒らし回り、九州博多湾に上陸したのは御存知の通りです。
案内看板を読むと、「小茂田浜」の古戦場は、小茂田浜神社の近くの海岸ではなく、当時は今と地形は違っており、川を少し上った付近が古戦場だったのでは・・と言われてるらしい。
「小茂田浜神社」は50年前とほとんど変わっていませんでしたが、当時は神社のすぐ側が砂利浜で海に通じていました。
今回来て見ると砂利浜は無くなっており、代わりに立派なアスファルトの駐車場が出来ており時代は変わりましたなぁ。
案内看板の写真のような荒涼とした砂利浜の方が情緒が有ったのだが、なんで駐車場なんかにしちまったのだろう。
歴史的にも蒙古襲来の浜として有名なのだから、そのままにしておけばよかったのにぃ。
「小茂田浜」の近くに「椎根」という集落があり、石屋根の倉庫が有名です。
昔、対馬に住んでいた人に聞いたのでは、「椎根」集落はタンボで米が取れる所なので、対馬の中では豊かな集落だったそうです。
そのため倉庫を作る時には、高床式にして湿気を防ぎ、屋根を石で葺いて火災防止を図り、倉庫に大切な物を収納したと聞きました。
何も知らずに倉庫を見れば、小汚い倉庫だなぁ・・と思うかもしれませんが、見所は屋根に葺かれている石板です。
それにしても、よくあんな重たい石を屋根にしたと思う。
「椎根」集落には3軒ほど石屋根倉庫が残っており、川の橋には「椎根の石屋根」を模った欄干柱が有りました。
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