HOME > 紀行文「目次」 > 「国境の島、対馬」紀行文の「目次・地図」 > 19 豆酘崎灯台
2019/5/19 旅行
対馬「浅藻」集落より「豆酘」へ向かう途中で、小さく「豆酘崎灯台」が見えます(上記の写真は、豆酘埼灯台の関係がわかるように同一写真の一部を切り取り拡大しました。安物のデジカメなので不鮮明ですみません)。
ちなみに「豆酘」と書いて「つつ」と読みます。
昔は海上に立っている現在「ミョー瀬照射灯・副標」と言われている灯台が「豆酘埼灯台」であり、岬の上部に立っている現在の「豆酘埼灯台」は存在してなく砲台跡だけでした。
昭和62年に岬上部へ(現)豆酘埼灯台を移設して、海上に在った灯台は「ミョー瀬照射灯・副標」として光を照射させて、その付近に暗礁が有る事を示しており、「ミョー瀬照射灯・副標」は光を発していません。
ヤヤコシイので「ミョー瀬照射灯・副標」を「旧・豆酘埼灯台」、現在の豆酘埼灯台には(現在)と括弧書きで区別しますが、以下記載するほとんどは海上に設置されている「旧・豆酘埼灯台」の事です。
豆酘埼灯台が有る「豆酘埼園地」のキャンプ場・駐車場へ来て案内図を見ると、(現在)豆酘埼灯台付近にも駐車場が記載されているので行ってみました。
車が擦れ違い出来ないよおな細い道で、5・6台の車を停めたら満杯状態のよおな駐車場というか広場です。
「豆酘埼」は対馬の最南端で、他に見るような箇所も無く、岬を見るためだけに観光客は来ないだろおと思っていたのですが車が2台に停まってました。
10時半頃でしたが早くから来てるんだなぁ・・と思い「厳原」を9時頃に出発したら、こんなもんかな・・と思っていたら、遊歩道からワァワァ言いながら韓国人観光客が降りて来ました。
へえぇぇ・・・まさか韓国人観光客が最南端の「豆酘」までわざわざ来るとは思わなかった。
ちなみに帰る時に、自転車に乗った韓国人5台が道を上がって来たので、韓国人には「豆酘埼」の観光知名度が有るのでしょう、ただし、ここからは朝鮮半島は見えません。
「神崎灯台」滞在勤務の時に「旧・豆酘埼灯台」灯火監視していたので、そこからは「神崎灯台」も見えたと思いますが、「豆酘埼園地」展望台・遊歩道からは写真を拡大しても「神崎灯台」は岬の陰になってるようで見えませんでした。
「旧・豆酘埼灯台」は、「神崎灯台」勤務者が見回り点検に行く事になっておりましたが、いつも白波が立っている所なので、なかなか行けず、それでも2回ほどは行きました。
灯台の中は湿気っており、レンズは動かずに小さい電球を「W型点滅器」という機械で光を点滅させてました。
光源は太陽電池だったか空気電池(というのも有った)だったか、他の電池方式を採用していたか忘れちゃったが、たぶん太陽電池だったような気がする。
「旧・豆酘埼灯台」へ近づくと、遠くからはわかりませんでしたが灯台表面が凸凹しており、波浪のためかと思ったが、米軍の空襲で銃撃された跡だそうです。
当時の地元の人に聞くと、目の敵のように灯台を銃撃していたそうで、米軍飛行機が本土の目的地を空襲した後、残弾処理のため、ついでだから・・とばかりに灯台を射的感覚で攻撃していたらしい。
さすが物量豊富な米軍らしいですねぇ、そりゃあぁ~日本は負けますわなぁ。
このように灯台が空襲された箇所は、太平洋側・九州の灯台に多かったよおです。
「展望台」から遊歩道を歩くと「サーチライト格納庫」だと言われているコンクリ跡があります。
豆酘埼には砲台跡もありますが、(現在)豆酘崎灯台の場所に砲台観測所が有り、そこにサーチライトが設置されていたよおですが詳しくは、わかりません。だれか知っていたら教えてね。
(現在)豆酘埼灯台は新しいので、余り興味が無かったので寄らなく、キャンプ場駐車場まで戻ってトイレをした時に、そお言えば砲台跡が有ったのを思い出しました。
もう一度狭い広場のような駐車場へ行き、(現在)豆酘崎灯台へ上がりましたが、砲台跡はわかりません。
灯台下方向の草地へ行くと円形の砲座跡がありましたが、案内看板も標識も無いのでこの豆酘埼砲台跡は、意識して探さないとわからないかもしれない。
なんせ自分も砲台跡が有った事を忘れちまったほどだから、たぶん気付かずに豆酘埼灯台を後にした人が多いと思う。
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