29番「雀林観音」境内の弁天石/会津33観音霊場
「雀林」集落
会津高田より朝日を背に受けて、なぁ~も無い田園風景の道を自転車で走って行きます・・天気がええですなぁ。
「雀林」集落の山腹付近に三重の塔のような建物が見え、そこら辺が目的地だろおと思いながら自転車を漕いでると、「法用寺」と書いた小僧さんの案内看板がありました。
この小僧さんの案内看板は、
四国霊場で各寺の納経所場所を指さしているのと同じような物で、四国霊場の物より大きく、目玉も、ちゃんと書いてあり、なんか久々に見たので懐かしい感じがした。
「雀林」集落の坂道を、自転車を降りて押しながら行くと、やがて山門が見えました。
山門の仁王さんは、どこかへ出張されているのか不在で、留守にしておくのもサミシイからなのか、代わりに等身大の仁王さんの絵が置いてあります。
大蛇の御年始
その山門の入口には、長い藁縄が掛かっており、最初に見た時は、神社によく有る単なる注連縄かと思ったんです。
案内看板を読んでみると、「大蛇(へび)の御年始」という風習が、この付近に有るらしいです。
その風習ちゅうのは、毎年1月7日に近所の子供達がこの藁蛇を降ろし、近所の家を「ウオ~」とか「ギャオオォ~」とか鬨の声を上げて御年始巡りをして、藁蛇が来た家の人達は、恐れいって金を差し出すらしいです。
子供達が家を巡っている間に、大人達は山門前で酒を酌み交わして、ドンチャン騒ぎをしながら、早く戻ってこねぇかなぁ・・寒いのに・・と思いながら待ってるのではありまへん。
大人達は酒を飲むヒマも無く、新しく藁で大蛇をセッセッと作り山門に掲げて、子供達が「大蛇の御年始」を巡って戻って来ると、その古い蛇を燃やすそうです。
雀林観音境内
会津三十三観音「29番 雀林観音堂」は、今までのお堂が小さかったためか大きく思え、また境内も広く、池が有り橋も架かっており「三重の塔」もあります。
境内に「虎の尾桜」という大きい桜の木が有り、この桜が見事に満開になっている写真が雀林観音堂に奉納してありました。
弁天石
雀林観音堂付近に、何の変哲もない普通の石がコンクリートで固めてあります。
はん?・・何でこんな漬け物石を、大きくしたような石を置いておくんじゃ?
庭石なら、それなりの配置をしておけばええのにぃ・・
コンクリートで石の下を固めてるのも無粋じゃのおぅ・・
と思ってたら、側に「弁天石の由来」の看板がありました。
それによると、何とか大師が雀林観音堂を建立をしとる時に、皆にバレないように「虎尾の桜」付近でサボッて昼寝していたそうな。
そこへ尺八の音かどうかは、わからんが・・妙なる音と共に、キレイな天女が舞い降りてきたそうな。
あらあぁ~・・キレイなネーチャンやなぁ・・夢なら覚めるなと思ってると「我は弁財天なり、あんさんが造っている雀林観音堂の建設を助けてあげる」と言われて目を覚ましたそうな。
何とか大師さんも、こんなキレイなネーチャンとなら、もっと親しくお話しをしたかったろうに、あっさり夢から覚めて残念んだたろうに・・カワイソーに・・。
でも、羨ましいですなぁ・・σ(*_*)も夢の中でもええから、そおいうキレイな弁天様と、一度だけでもお会いして親しくお話をしてみたい。
当然、夢から覚めたら天女さんは、どっかへ行って居なくなっちゃっており、代わりにこの石がデェ~ンと有ったので、この石を「弁天石」と名付けたそうな。
しかし弁財天ならば、芸術・音楽・財宝関係に強いと思うが、何で観音堂建設に協力したんでしょうか・・まぁ・・せっかくの協力するという申し出が有ったのを、断る必要も無いが・・・
「三重の塔」付近から、麓の会津盆地の平野部が見渡せます。
子安堂
さらに境内の奥へ行くと、小さい堂が有り、彫刻は龍と虎が互いに睨んでおり、これまたスゴイでんなぁ。
何の堂かと思って確認すると「子安堂」と書いてありました。
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恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
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