H21.6.13 UP
再び車道をテクテク・・・
やがて林道とぶつかり、交叉する小さい道に「明神ケ岳登山道」と書いた標識と、別の所に小さく「会津三十三所二七」と書いた柱の標識が有ります。
うんうん・・・これもネットに書いてあったなぁ
交差した道を横切って、いかにもそれらしい山道を少し上がると、清水が流れ落ちている所に石仏があり、やっぱり小さい標識に「二十七番大岩」と書いた矢印の標識が有りました。
標識に従って、これまた少し歩くと・・・あらあぁぁぁ・・・・!!
大岩観音堂は潰れてしまったのか廃屋の残骸が山積みになっており、その奥にちっこい倉庫のような黒い建物が見えます。
まさか・・その倉庫みたい建物が大岩観音堂?
たいへん失礼ながら、とても宗教施設とは思えないよな建物ではあるが、一応ちゃんと鰐口・御詠歌・看板の三点セットが有り、大切な賽銭を入れる箇所も有りましたが、内部は全く見えまへん。
ホンマに失礼を承知の上で、さらに言うならば、左の岩壁側に有るチッコイ祠(熊野神社)の方が、まだ由緒正しい祠のように見える。
倉庫のような大岩観音堂で尺八を吹いて参拝をしていると、山の方から男の人が下りて来て越後屋が話をしてました。
後で聞いてみると、σ(*_*)より少し若い人で、昔この「大岩」集落に住んでいたそうです。
大岩観音堂周囲は杉木が生えていますが、昔はこの杉木が生えている所に集落が有ったらしく、男の人が高校の頃まで10件ほどの家が有り、冬に高校へ行く時はタイヘンだった。
ここは豪雪地帯なので、以前の堂は雪のために斜めに傾き、雪降ろしもタイヘンなので、昨年壊して新しく作り直し、雪はあの観音堂の屋根の高さまで積もる。
「大岩」というのは観音堂の後にある岩の塊が「云われ」の石だと思ってましたが、それは山から転がり落ちた、タダの単なる岩らしく、地元の「云われ」では左横の屏風のように見上げる大きな岩がそれらしい。
岩というよりも絶壁の山という感じがして、とてもこれが一つの岩とは思えないほどの大きさです。
岩は二段重ねの構造になっており、大岩観音堂付近から見上げている岩は、下の岩部分だけで、重なっている上の岩はここからは見えないらしい。
はりゃあぁぁ・・・!!と思って、岩を眺めてると岩の中腹付近に五輪塔のような物が見えたので聞いてみると、その存在は知らないらしく、そこまで行こうと思えば岩壁を伝って確かめに行けるかもしれんが、危なそうなので行かなかった。
しかし位置的には、五輪塔が存在していても良さそうな箇所だと思う。
見えている岩のヒビ割れは昔より大きくなっており、そのうち岩が崩れ落ちるのでは・・との事ですが、そおなったら、この倉庫のような観音堂もつぶされちゃうだろなぁ。
池の跡地を見ていると「昔は清水が出ておりキレイだったが、林道が出来たために、今は水が出なくなった。池には小さいエビも居た」と言います。
そおやろなぁ・・・今は手入れもされず雑草が周囲を覆い、池の水も澱んでいるが、池の大きさ規模から見ると、清水が出て手入れがしてあれば、それなりに見られる良い池だったと思う。
明日は旧「大岩」集落の人達がここに集まり、大岩観音堂付近を除草して、その後は皆して一杯やるのだと言ってました。
この人と会わなかったら、大岩観音の今までの経緯や付近の話は、年月と共に埋もれて消え去り、だれ知る事も無く、いつの日にか忘れ去られるかもしれない。
最後に巡ったこの会津三十三観音の総決算として、このような逸話を聞けたのも大岩観音さんより「この実情を後世に伝えよ」とのお導きの賜ものか・・・ナモナモ・・・。
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