「安房天津駅」で車中泊していると、夜中に突然夕立のような雨が降り、短期間で止みましたが、先日この付近で竜巻が起きていたので少々ビビッた。
6時頃、「安房国札34観音霊場」の16番札所「石間寺」へ出発して、自転車を漕いで5分も走らないうちに小雨が降ってきました。
夜中に夕立が降った事を思い出し、急いで近くに有った郵便局の玄関庇で雨宿りをして様子を見ました。
今のうちならば「安房天津駅」に戻れるのだが、どうしょうかなぁ・・と迷っていた時、雨音が強くなるような気配がします。
このまま郵便局の狭い庇に居ては、ずぶ濡れになると思い、目の前に有る広い民家ガレージ車庫に避難した時に、やっぱり雨足が強くなり始め、ぎりぎりセーフッ!!。
それでも雨は短時間で弱まり、空模様を見て雨が収まったと思って出発しました。
自転車を漕いで「上芝」付近を走ってる時に「ハッ・・!!」と気づき、な・・なんと・・・尺八を、車の中に忘れてきちまった。
あちゃあぁぁ・・・出発する時に、いつもは用意しない雨具を、どうのこうのしていたので、ついそちらに気が行っちまい、尺八を担いでいるものだと思ってた。
取りに戻るには、もう5kmほど来ており、少々迷ったが、このまま行く事にしました。
そう言えば「信濃霊場」でも尺八を忘れた事が有ったなぁ。
走ってると道端に道標が有り、「西 大山道」「左リ 清すみ 天津道」「右 いそむら 前はら道」と彫ってあり、もっとも、この原稿を書いてる時に、この道標はどこに有ったのか忘れちまったので、調べて正確な字がわかったのです。
で・・これは文政4年(1821年)に「田原 追分(現在「板東」)」に設置された物らしく、地図で場所を確認すると、なるほど大きな三叉路になっており、道標が有っても良い条件が整っている。
その「板東」付近より、16番札所「石間寺」の有る「下小原」へ向かう分かれ道が、これでは・・?と思ったのが有りましたが、目印のGSが見当たらないので迷いながらも、そのまま進みました。
あまりにも目印のGSが無いので、ちょうど店を開けたトッツアンに尋ねると、この場所は「押切」で通り過ぎており、先ほどの「これでは?」の道が正解でした。
その「これでは?」の道まで戻ると、押しボタン信号の所で、お母さん達が横断旗を持って立っており、たいへんですなぁ・・・お母さん達も・・
いかにも農村らしい道を行き、今日は日本全国で25年ぶりの金環食が見れる日で、金環食が始まる7時半頃は曇り空。(一番上の写真)
この日のために、わざわざホームセンターで遮蔽板を買って持って来たのになぁ。
雲の中に太陽が見えますが、欠けたようにも見えず、後日、普通の太陽を専用グラスで見ると、小指の爪先よりも小さく、もっと太陽は大きく見えるのかと思ってた。
再び雨が降りそうになりながら「安房国札34観音霊場」の16番札所「石間寺」を目指し、「下小原」集落付近で、地図では山のほうに寺があるから、もしやあれでは?と思ったが、普通の民家の小屋らしい。
さらに進むと道端に堂らしい屋根が有り、これか?と思ったら神社でした。
神社なんか有ったかなあ・・と地図を確認すると、札所へ行く途中に神社の印が有り、まだ先へ進まなければアカンのがわかり、そのうち道ばたに「石間寺」への案内看板が有ります。
それに従って山麓の人家へ入るような道を行くと石柱と堂が有り、やっと到着したと喜んだら「小原寺」と書いてあり寺名が違ってます・・あちゃあぁぁぁ・・・。
その「小原寺」境内を突き抜けた裏付近に大きい鉄柵が有り、その奥にあるのが16番札所「石間寺」のようです。
鉄柵が開くかな・・・と思ったら簡単に開き、横の看板に「扉は通電してないので自由に入ってくれ」と書いてあるので、それなりの参拝者は居るのでしょう。
扉の奥には古風な長い石階段が続いており、その上に「石間寺」が建っています。
なかなか雰囲気的には好きな感じな場所で、尺八を忘れたのが惜しまれる。
「石間寺」内の柱には平成9年に参拝した人の大きな納札が貼ってあり、安房國札34観音札所を巡っていて始めて他人の納札を見ました。
再び元の道を戻り、小雨が降ってきたので先ほどお母さん達が横断旗を持っていた押しボタン信号近くの公民館へ行き、しばらく雨宿り。
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