千葉県茂原市に第二次大戦中、飛行機を空襲から守る「掩体壕」が残ってるとネットで見つけてました。
なんせ始めて来る場所なもんだから、さんざん迷いながらも、なんとか新茂原駅まで着き、その先はネットで調べた地図を思い出しながら走りました。
走ってると左の畑の中に、いきなりデエ~ェンと掩体壕が有り、まさかこんな間近に有ると思わなかった。
その場所が、ちょうど公共施設のような建物の前に有るので、写真を撮るだけチビット駐車させてもらえないか・・・と敷地に入りかけたら、よく見るとS学会公民館。
うむうぅ・・・さすがに美味い事を言って、信者から金をふんだくる宗教団体らしく、ほとんど使われてないようなリッパな施設・建物ですなぁ。
こおいう所で、尺八を吹いて托鉢のマネ事をしたら、どおいう反応を示すかなぁ・・・と思いながら、その正門に車を止めて、モンクを言われる前にサッサッと掩体壕を撮影しました。
その方向から見えるのは、掩体壕の後ろ側(尾翼側)なんですが、それでも大きな穴があいてます。
場所を変えて正面方向へ行ってみましたが、木が茂っていて、あまりよく見えない。
これに勇気づけられ、この付近には掩体壕があちこちに有るらしいので、さらに探したが見つからず、まぁ・・1つだけでも見れただけでも良しとしようと思い、先ほどのS学会前を駅に向かって走っていた時、横断歩道の所に「掩体壕」の案内看板が出ていた。
来る時に、なぜ気がつかなかったか・・・良く見ると、やっとわかった。
「掩体・・」は見えるが、「飛び出し注意!」の黄色看板にジャマされて、「壕」と下に書いてある矢印が見えなく、これじゃあぁ~わからんわなぁ。
そりゃあぁ・・・交通標識も大事でしょうよ・・でもねぇ・・もおチット、掩体壕を見に来る人に気遣いした看板の立て方をしてくれても良いのではないかなぁ、おでぇかんさまあぁ~・・・。
なにも矢印方向を隠すように、わざわざ前に看板を立てて、イジワルする事も無いと思うが・・・こおいう事は、交通安全協会に言えば良いのかな?、あそこもキレイ事を言うだけの天下り団体で、お役所仕事の所だからなぁ。
たぶん苦情を言っても、永遠にこの看板は善処してくれず、むしろ、もっと、どうでも良い看板を増やすかもしれん。
看板の通り100mほど離れた所に、大きな掩体壕が有り説明看板も有ります。
道端は川沿いになっており、砂利道?が設置されてますが、ここへ来る人は、所々に犬のウンコが落ちてるから、掩体壕ばかり見てないで、下も見ないと危ないよ(ここ重要なところね)。
この付近の犬の飼い主は、マナーが悪いよおですねぇ。
掩体壕の前にはロープが張ってあったが、ゆるんでおり、かまわず中に入っちゃいました。
内部地面からは、付近の竹林から侵入して来たらしいタケノコが数本生えてましたが、蹴り倒されてます。
遠くに、もう一つ壕が見え、そちらは上方に竹?が茂って歴史を感じさせ、行ってみたかったが道に草が生えており、雨も降っているので止めました。
「霞ヶ浦」と言えば「予科練」・・・その「予科練平和記念館」へ行きました。
500円払い、入り口にも書いてありましたが、念のために聞いてみると、やはり内部は撮影禁止だったが、玄関の壁に飾ってある「兵舎位置図」はOKでした。
今までは映像でしか見た事が無い、吊り床や、収納棚が実際に飾ってあり、これ位の高さなのかぁ・・と大きさ等が実感できます・・写真撮りたかったなぁ。
入試問題を見たが難しく、現在の高校入試問題よりも、さらにグウウウッ~ッッツとレべルが高く、代数の問題は、頭の中で何とか解き方がわかったが、苦手な幾何の問題はサッパリわからん。
物理の問題も高校で習う程度のレベルで出題されており、それを14~17才の人が解いてたのだから、たいしたもんで、たぶん今の中学3年生(15才)には、この問題は解けないだろなぁ。
簡単に「予科練」と言いますが、かなりカシコくないと、なれんかったようで、字もきれいでした。
資料説明の言葉で「酒保」という言葉や「総員起こし5分前」の号令が昔を想い出して懐かしい。
ちなみに「酒保」と言うのは、お菓子や飲み物・ウドン等を売ってる売店の事ですが酒は売ってまへん。
この「酒保」が開いてる時間も決まっており、今のコンビニのように、いつでも24時間開店してるのではなく、「酒保開け」という号令が有ると走って行きました。
何でか・・と言うと、ゆっくり行くと行列が出来ていて遅くなるから・・なんせ限られた自由時間しか有りまへんので、行列を待ってる時間がモッタイナイですからなぁ。
そおいう意味でも「5分前の精神」で、時間を大切にしていたと思います。
資料を見ていて、さすがに殴られた・・等の記載は有りませんでしたが、この霞ヶ浦で終戦を迎えた、元予科練だった上司に当時の事を聞くと「殴られてばかりいた。」
上司は温和な人だったので、まさかとは思いながらも「下の者を殴った事は、有りますか?」「うん、殴らないと、自分がやられるからなぁ。」と、あっさり認めます。
今の時代から見ると暴力なんじゃろうけれど、その当時は殴られるのが当たり前の事で、こんな事を書くと、お花畑の人から「ほれみた事か・・・、だから・・」となるだろうが・・。
「終戦とわかった時、どう思いましたか?」 「これから、どうしょうか(どのように生活しようか)と思った。」
σ(*_*)としては、そこらに有る飛行機をカッパラって単独敵艦に突入しようか・・と勇ましい事を言うかと思ったのですが、違ってましたねぇ。
資料・遺品等を見ながら、今は鬼籍に入ってしまった元上司の事が、しきりに想い浮かびました。
じっくり資料を全部読んで、ビデオも最初から最後まで全部見て、2時間ほどかかって見学しました。
たぶん他の人ならば、15分ほどで、サッサッと出て行ってしまうでしょう。
続いて自衛隊ゲートを通って、隣の「雄翔館」へ行き、「予科練の像」を見て「雄翔館」へ行くと、思ったより小さい施設です。
なんせ無料だからなあ・・と思いながら入ると、展示物の半分ほどが遺影と手紙でした。
遺品の中に尺八が2本あって、持ち主がそれぞれ違っており、その内1本は割れてました。
まだ20歳前後の若者が尺八を吹いてたんですねえ、楽譜も置いてあり都山符でした。
σ(*_*)の尺八の師から聞いたのですが、けっこう軍人で尺八を吹く人が多かったらしい。
「雄翔館」だけでは、ちと資料的に面白くなく、最初に見た「予科練平和記念館」があって、初めて詳しく予科練の全体像がわかるような気がします。
柵の向こう側には、戦車が道路沿いに並べてあり、ゲート番をしている隊員に聞くと、正門玄関方向からでないと入れなく、また見学範囲も戦車付近までであり、それ以上は立ち入り禁止になっているとの事。
車で正門玄関に行き、受付で名前と自動車ナンバーを記載すると、入場者名札をくれ、それをつけて見学するのだと言います。
なかなか、カッコイイ名札ですなぁ、入場記念にくれるのならば、もんのすごく喜んだのにぃ、門を出る時に返さなければアカンので残念。
野砲や戦車が飾ってあり、道路沿いにズラッ~と戦車が並んでるのを見れば、これを尖閣諸島の一端に置いておけば、朝鮮・中国が侵入しても一時的には阻止できるような期待感が生まれて来る。
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