HOME > 全国の木造校舎 > 福島県「目次」 > 福島‐19 野沢小学校・安座分校
所 在 地 福島県耶麻郡西会津町野沢
撮影年月日 2020/5/30
福島県の木造校舎「野沢小学校・安座分校」へ行く途中に「鳥追観音」の看板が出ており、その前を通るのかと思っていたら一本道が外れてました。
「鳥追観音」は10数年前に「会津33観音霊場」を巡った時に行き、ついでに近くの「大山祇神社・御本社」まで行った場所です。
「安座分校」は山際に有る寺の後ろに有り、木が茂っているので道からは木造校舎が見えにくい。
寺の駐車場に車を置き、後ろへ向かう坂道に「DANA VILLAGE」の看板が立っており、廃校になってから宿泊施設になってるよおです。
だれか居るかなと思って玄関から声を掛けると、すぐに返事が有り、若いキレイな女の人が出てきました。
主旨を述べて「できれば内部に昔の校舎雰囲気が残っているような所が有れば、見せて欲しい」と言うと、あっさり中へ入れてくれました。
チラッと見た限りでは内部はかなり改造されており、とても昔の学校雰囲気が残ってるようには思えなかったが、階段の途中で板を外し「これが当時の落書きというか・・書いた物です」と板を示しました。
何が書いてあるのか達筆すぎてよぉ~わからんが、一枚の板には「明治42年10月17日」と書いてあるよおで、もう一枚の板は、よぉ~わかりません。
聞いてみると、これと階段だけが当時の物だそうで、二階にも上げてもらい、元は教室だった所は畳敷の客室部屋になっており当時の黒板が掛かっていました。
窓のカーテンも開けて全部見せてくれましたが、教室の面影は全く無かったので写真は撮らず、今思えば黒板だけでも撮っておけば良かった。
聞けば、自分のように木造校舎趣味の人が、たまに来るらしく、最初に挨拶した時に自分の名刺を渡していたので、帰り際に女性もお返しに名刺をくれました。
名刺の裏を見るとカタカナの肩書が一杯書いてあり、それと共に合気道2段と訪問国50カ国以上と書いてあったので、思わず「へえぇ~合気道をやってるのですか」と言うと「(合気道を)やっておられるんですか」と聞かれたので「古流柔術・八光流をやってた」と答えたが、ずうっと元をたどれば同じ流祖なのですが八光流は知らないよおでした。
これを書いてる時にネットで調べると、女性は自然農法とかヨガの先生もやってるよおで、この学校建物は借りており今年で4年目で、オランダ人の夫と暮らしていると言ってました。
次の学校へ行く途中で、近くの川で遊んでいたらしい男の人と小さい女の子が居たので、あの人達が夫と子供かなと思ったら、外人風の顔立ちだったのでやはりそうだった。
次の「西方小学校・大石田分校」へ行く途中、「この先、通り抜けできません」の看板がありますが、カーナビでは通れるようになっています。
どおしたもんかと思ったら、ちょうど道端に桜並木が有る分校風の建物が有り、カーナビを見ると「森の校舎カタクリ」と表示されていたので学校だと思いました。
ちょうど建物に人が居たので聞いてみると、「ここは学校ではなく、児童館というか保育所のような建物で、今は自分のアトリエとして使っている。」と言います。
そおいえば建物内部には紙細工がゴッテリ飾ってあり、室内では同年配の老夫婦が作品を写真に撮ったり話をしたりしています。
「どうぞ上がって見て行ってくれ」とスリッパまで出されたが、ホントは「通り抜け」できない大石田分校へどう行けば良いのか気が気ではない。
それでも強く勧められたので、中に入って作品拝見すると「半沢政人」という美術家で、一枚の紙を切って立体的に造ってると説明してくれました。
「木造校舎を趣味で写真を撮っている」と言うと、「安座分校へ行ったか」「今行って来た所だ」
「人が居たか?・・そか、今度あの女の人の絵を描きに行く事になっている。ダンナさんはオランダ人だよ」と言い、かなりこの附近では、そおいう事も有名らしい。
それから「大石田分校」へ行く別の道を教えてくれましたが、一度国道へ戻って行った方が良いという事になりました。
ちなみに「この先通り抜けできません」の道は、かなり以前から道が陥没してるとか何とかで歩いても通れなくなったらしい。
ワア~ン・・高い金出してカーナビを更新したのだから、カーナビ地図を直しておけぇ。
それでも「通り抜けできません」のお陰で、このような「紙の立体造形」を知る「縁」が出来たと思い、ちなみに「森の校舎カタクリ」はすぐ近くに有った近代的校舎の廃校でした。
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