HOME > 遍路・巡礼 > 「出雲33観音霊場」地図と目次 > 24 重巡「最上」の鎮魂
巡礼日 2017/5/1 掲載日2017/9/8
出雲33観音霊場の20番札所「長台寺」の場所もよぉ~わからず、安物のカーナビなので具体的場所が示されません。
おおよその見当をつけてその付近へ行くと、崖道というか山道を上がるような所に寺の屋根が見えたので、その付近に車を止めました。
その山道のようなところを上がると20番札所「長台寺」境内に入り、意外に大きい寺です。
なんせ山道を上がったので、無人のチッコイ堂のような寺なのかと思ってましたもんで・・・
大きい寺で境内も広く、本堂の正面には長い階段が有り、どおやら上がって来た道は裏口のよおで正規の道ではないようだ。
奉納額には「出雲33観音霊場」の本尊さんを描いた物があり、色の剥げ具合から見て、かなり年月が過ぎた物と思い歴史を感じさせます。
柱には納札が剥がれたような跡がありましたが、一つだけ大きい紙が残っており、見覚えのある軍艦写真が貼って有り、あっ!!・・と思いました。
これは小豆島88箇所霊場の番外「萩原寺」で見た「重巡「最上」の鎮魂」を祈った納札と同じ物です。
まさか、小豆島と遠く離れた出雲の地で、この「「重巡・最上」の鎮魂」納札に再びお目にかかるとは思わなかった。
願主は愛知県半田の人ですが、観光で出雲大社へ来たついでに「長台寺」へ寄ったのでしょうか、それとも出雲33観音霊場を巡ったのでしょうか。
小豆島の「萩原寺」も、出雲の「長台寺」も、失礼ながらそんなに有名な寺では無いので、何となく霊場巡りをしたような気がする。
船乗りの仲間意識は、普通一般に生活している人よりも強く、願主のように仲間を思う気持ちは、よお~くわかります。
σ(*_*)は2年ほどで船を下りましたが、昨年、海上保安学校の同期会があり40数年前の顔ブレを見ると、卒業以来もう会えないだろおと思っていた顔も有り懐かしかった。
その時の話で「校旗入場」の靴音が講堂でカッカッカッ・・と響き、校旗を持った人達がカッコよかったなぁ・・とか、学校の授業は、ホンマによぉ~わからんかった・・と言うのを聞いて、σ(*_*)だけが授業がよぉ~理解できなかったのでは無かっのだとホットした覚えがあります。
元「最上」乗組員の願主は、今も存命なのでしょうか・・生きていれば90才を過ぎて、もうすぐ100才になるでしょう。
長台寺に貼り付けられた納札は外してあるよおですが、雰囲気的にこの重巡「最上」鎮魂の納札だけは意識的に残してくれてるように思う。
車に帰るのに同じ山道を戻るのも面白くないので、正規の階段を下りると山門が有り仁王さんもガンバッテいます。
山門を下りると駐車場が有り・・そんなの知らんかったでぇ。
村道を歩き、途中で農道を歩いて近道をして車に戻りました。
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