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 徳城寺、「越中一国観音霊場」紀行文  巡礼日 2013.8.25   掲載日 2014.3.30


野宿と30番「徳城寺」の寺宝/越中一国観音霊場記/31番「実相院」

道の駅「滑川」で野宿

 「道の駅・滑川」は屋根付きの庇場所が少なく、周囲を一回りして野宿場所を探すと、屋根の有る自販機の場所には自転車旅行のアンチャンが居ました。道の駅「滑川」、「越中一国観音霊場」紀行文

 挨拶して、仲間に入れてもらっても良かったのですが、付近にはアンチャンと共に地元のオヤジが2・3人ベンチに座って話しており、その付近を歩くとジロジロ見ます。

 あんまり人目に付きたく無いので、反対側の人目の無い陰の所で野宿しました。

 アンチャンは、たぶん疲れて早く寝たかったのでしょうが、夜遅くまで地元のオヤジ達のヒマつぶしの話し相手をさせられており何か話しをしてました。道の駅「滑川」・野宿、「越中一国観音霊場」紀行文

 海に近いので浜風が吹くためか、夏なのに肌寒く、この時に初めて持ってきたツェルトを体に巻いて寝ました。

 雨が降らないだろおと思ってましたが、0時頃に雨がパラついたので、第二候補地の屋根の有る場所へ野宿場所を移動、先程の地元オヤジ達は家に帰ったらしく静かです。

 もおすっかり野宿生活には慣れちゃて、その後はぐっすり眠れましたが、朝5時頃、地元オヤジの「アンチャン、起きろよ」と自転車旅行のアンチャンを起こす大声で目を覚まさせさられた。

 うるせぇなぁ・・朝早くから・・人の迷惑も考えずにぃ・・・▼▼メ。道の駅「滑川」・チョイノリ、「越中一国観音霊場」紀行文

 アンチャンは、夜遅くまで話し相手をさせられるわ、朝早くから大声で叩き起こされるわ・・ゆっくり眠るヒマも無く災難で、良かったなぁ・・一緒に野宿しなくて・・・。

 ボソボソと話すのならば良いが、オヤジの大声だけが、飛び抜けてうるさかったので、こりゃもうアカンと思い、σ(*_*)も起きて野宿道具を片付けました。

 歯を磨いてると、アンチャンも早々に出発しちゃい、そりゃぁ・・そうだろなあ・・相手の事も考えずに一方的に大声で話されたら、σ(*_*)でも顔も洗わずにサッサッと逃げちゃうでぇ。

30番「徳城寺」の寺宝

徳城寺入口、「越中一国観音霊場」紀行文     徳城寺山門、「越中一国観音霊場」紀行文     徳城寺境内、「越中一国観音霊場」紀行文

 滑川市内の墓の有る付近が「越中一国観音霊場」の30番札所「徳城寺」だと思い、およその見当を付けて寺の屋根を探して行ったら有りました。徳城寺本堂、「越中一国観音霊場」紀行文

 「徳城寺」本堂の戸は閉まっており、朝早いので開かないだろおと思ったが、手で開けるとスルスルと軽い感じで開きます。

 中に入り賽銭箱の前で尺八参拝し、また戸を閉めて階段の所で納札を書いてると、住職が戸を開け始め、σ(*_*)が居たもんだからビックリしたと言います。

 「どこから来た」「新潟」という話しから、「ここは松尾芭蕉が泊まった寺だが、良寛さんも泊まったと思うんだけどなぁ」という話しになりました。

 良寛さんの出身地と同県だったためか、もお一度本堂へ入れと強く勧めたので入りました。

 住職が言うには「良寛さんは岡山への修行に行き帰りの時、魚津~富山間の街道筋では、禅宗の寺はここだけなので、ここしか泊まる処が無いはずなのだが、泊まったという文献が無い」と、もんのすごく残念がってます。徳城寺・旅僧の宿泊場所、「越中一国観音霊場」紀行文

 旅の時に他宗の寺しかない場合はその限りではないが、近くに禅宗の寺が有れば、同じ禅宗の寺に泊まるのが当時の習わしだったらしい。

 その当時、本堂脇の天井付近の壁は、今は壁で塞がっているが、雲水達が来た時に泊まる部屋が有り梯子で上り下りしたそうな。

 へえぇぇ・・そんな宿泊専用の部屋が有るとは知らず、本堂が広いので、そこでゴロ寝するのかと思ってた。

 本堂に曼陀羅が飾ってあったので「禅宗にしては珍しいでんなぁ。こおいうのを飾るのは真言宗あたりだけかと思ってました。」

 「本来は中心がお釈迦さんだから飾っても良いんじゃ。 もっとも上の方(寺の上部組織)からは、反逆者と言われとるが・・」と笑っており、曼陀羅の解釈をしてもらったが、よぉ~わからん。

 そんなこんなで話しがはずんでいると、庫裡の方から奥さんが呼ぶ声がするので「御用が有り、忙しいようなので・・」と礼を言って帰ろうとすると「いや、ええんじゃ・・朝飯の用意が出来たと言ってるだけだから。」と、なおも引き留めます。

 さらに帰らせないためなのか「600年前の寺宝を見るか?」と言い、本堂に置いてあったパンフレットには、そのような事が書いてあったので、喜んで見せてもらいましたが、まさか住職から誘ってくれるとは思わなかった。

 たいていの場合こおいうモンは、こちらからお願いして、おもむろに見せてくれるモンだが・・それにしても奥さんが用意した朝食も食べずに、σ(*_*)の何が気に入って、ここまで何度も引き留めてくれるんじゃろう。徳城寺・寺宝室、「越中一国観音霊場」紀行文

 たぶん、σ(*_*)がある程度の仏教知識を持ってたので、話やすかったのかもしれない。

 奥の部屋に案内され、ガラス張りの中に掛け軸が飾ってあります。

 「正面の軸が何とか時代で、横のが何とか時代の物だ。 どおしてそれ(年代)がわかるかと言うと、古い時代は白色が無かったので代わりに金で描いてある。 時代が下がって白が使われるようになった。」徳城寺・秀吉「錦の御旗」、「越中一国観音霊場」紀行文

 はりゃあぁ・・そおなのか、どちらも煤けてる軸なので同じ時代かと思ったが、なるほど白色ねぇ・・・

 大きい布が飾ってある前で「左に布が有るが、これが錦の旗だよ。」
 「菊の紋章じゃないですねぇ」「本来は、日と月が印であり、裏側に月がある」

 布の説明書きに「豊太閤 北陸路通過ノ際 持参ノ幟旗ニシテ 日月ヲ肩ニ使用袈裟ナリ」と書いてあり、秀吉が越中を攻めたのは知ってたが、「錦の御旗」まで持って来たとは思わなかった。徳城寺・げ箱、「越中一国観音霊場」紀行文

 立派な御旗の横に、それとは対照的な薄汚れた笠と偈箱が置いてあり「偈箱は米を入れる物で、お金は別の所に入れてもらう。 米とゴミを選別するフルイも有ったが、どっかへ行っちまった。(^O^)ハハハ・・・」

 話している時にσ(*_*)の前職の話題になり「昔、1年半ほど船に乗っていた」と言うと「これ見てみぃ」と、今度はガラスケース前の黒表紙の綴物を示し「南極観測へ行った時の毎日の献立が書いてあるんだよ。 知り合いの人からコピーして貰ったんだ。」

 中を見ると、キレイな字で毎日の献立の作り方などが書いてあります(写真は一部拡大しましたが、手振れしたのでボケてます)。徳城寺・南極観測献立表、「越中一国観音霊場」紀行文

 ☆昼 残りご飯と里いも等おかずの残りでおじや
 ☆まつたけご飯
   <材料>・・・・・ <作り方>・・・・・・

 「私も大型船に臨時乗船して、遠洋航海を2ケ月ばかり経験しました。

 朝は和食、昼は肉料理、夜は魚料理と決まっており、毎日違うメニューが出て、絶対に同じ献立が出た事が無い。 その献立を考える主計の人は、タイヘンだったと思う」
と言うと、住職は大いに気を良くしてくれます。

 南極観測船「宗谷」かと思ったら「しらせ」の方で、良く見ると観測船の献立ではなく、南極観測基地での献立でした。

 へえぇぇ・・こりゃあぁ~・・船よりも厳しい条件で献立を作るんだから、もっとタイヘンだったろおなぁ。

 そお言えば船に乗っていた当時の主計上司が「宗谷」に乗って南極まで行った事があり、写真を見せてもらう機会が有りました。

 雪原で「宗谷」を背景にペンギンと仲良く写っており、またダンボール箱を逆さまにしてタバコを並べ「タバコ、無料」と書いた紙看板の写真もありました。徳城寺・南極観測献立表・拡大、「越中一国観音霊場」紀行文

 「宗谷」で南極へ行った主計の人が作る漬物は辛いので、すぐにわかると聞いた事もあります。

 こおいう南極へ行く等や遠洋航海は、本人がいくら希望してもなかなか行けず、組織からの推薦や本人の実力等、多くの条件がそろっていないと選ばれるのは難しく、主計上司は優秀な人だったのでしょう。

 住職さんに写真を撮ったのを、HPで公開しても良いか?と聞くと、あっさり了解してくれました。

 これを書いてる時に、徳城寺の宝物等を紹介したHP・ブログ等が有るかと思って探しましたが見つからず、σ(*_*)が一番最初かな?

 奥さんの用意した朝飯も冷めてしまい、後で住職さんが叱られちゃって、大ゲンカしなければ良いんじゃが・・・と気になり始め、お礼を言い「次の魚津の31番札所「実相院」の場所を知ってるか」と聞くと、知っており教えてもらいました。

 σ(*_*)が暇乞いをしなかったら、たぶんそのまま、まだ見てない多くの寺宝や屏風等も説明してくれていたと思う。

31番「実相院」

実相院、「越中一国観音霊場」紀行文     実相院・目印の看板、「越中一国観音霊場」紀行文     実相院跡、「越中一国観音霊場」紀行文

 計画段階の時から、この31番札所「実相院」の場所が全くわかりませんでしたが、「徳城寺」住職さんから「川を越えた所のガード下に、建設会社の看板が有り、その隣」と教えてくれたので、それを頼りに行ってみると一発で場所がわかりました。

 ホンマに墓場になっており、寺跡らしい物が何も無い。

    実相院跡、「越中一国観音霊場」紀行文      実相院跡、「越中一国観音霊場」紀行文


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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