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大湊基地、尺八を携え巡った田名部海辺三十三観音霊場記 2011.7.26 巡礼(自転車)    2012.4.17 掲載 

「北洋館」と入港ラッパ/田名部海辺33観音霊場(大平神明宮・常楽寺)

16番「大平神明宮」

 むつ駅前で車中泊して、わりと眠れ易い所でした。名も無き祠、自転車で巡る田名部海辺33観音霊場記

 早朝、自転車を漕いで16番「大平神明宮」へ行く途中、丁度信号で止まった付近の国道脇にチッコイ鳥居が有りました。

 いかにも由緒ありそうなので、わざわざ自転車から降りて見ると、鳥居の中にポツンと石が有り、その前に鳥の巣箱のような木造の祠が置いてあります。

 いかにも、この石が何か云われが有りそうなんで、付近を見渡して説明書きでも無いかと探したが見当たらなかった。 だれか知っていたら、教えてね。大平神明宮・鳥居、田名部海辺33観音霊場記

 そこからすぐ近くの国道沿いに田名部海辺33観音霊場の16番札所「大平神明宮」が有り、見たところ普通の神社。

 朝早いので、尺八を吹いて参拝すると近所の皆様にヤカマシイかもしれんので、遠慮して小さく吹きました。

 参拝が終わって越後屋を見ると、笑いながら手で×印を作り「ヘ・タ・ク・ソ・・」と口だけを動かしています。大平神明宮・石碑、自転車で巡る田名部海辺33観音霊場記

 はいはい、わかってますがなぁ・・・・自分でも遠慮して吹いたので、腹から音が出ておらんなぁ・・と自覚してたんで苦笑いしました。

 16番「大平神明宮」境内には石碑が建っており、一つは「十一面観音菩薩」と彫ってあり、ここに昔、札所が有ったという証としたらしい。大湊駅、田名部海辺33観音霊場記

 もう一つは「三日月神社」と彫ってあり、なかなかカッコウいい名前の神社名ですなあ。

 云われの説明が有れば良いのだが、何も無かった。

 帰ってネットで調べてもわからず、弘前に「三日月神社」というのが有るらしいけれど、だれか知っていたら教えてね。

「北洋館」

 狭い国道を車に脅かされながら自転車を漕ぎ、次の4・32番札所「常楽寺」へ行く途中に海上自衛隊の「北洋館」前を通り、昨日、車で「北洋館」を見学したので、そのまま通り過ぎました。北洋館、田名部海辺33観音霊場記

 「北洋館」は入口に守衛さんもおらず、施設に入っても受付する所も無いよおで、勝手に黙って門を入っても良いよおです・・違うかな?。


 「北洋館」玄関に入ると機関銃が床に置いてあり、戦時中の機銃なんじゃろか?

 古い予科練募集と志願兵のポスターも貼ってあった。北洋館・機関銃、自転車で巡る田名部海辺33観音霊場記

 玄関正面の部屋で入館の許可を得ようと思い、ドアをノックして海軍式に扉の前で「入ります!!」と言い これは前職時代に、そのように言ってから部屋に入る習慣になっていたので違和感も無く言えます。

 決して「あのお・・すんまへん」とか「ごめんください・・」「おじゃまします・・」なんて事を言いながら扉を開ける事はなく「入ります!!」の一言だけ。北洋館・展示室、自転車で巡る田名部海辺33観音霊場記

 ドアを開けると事務室のよおで、だれも居なく、あらら・・と思ってた時に下士官の白い制服人が来たので「あっ・・すみません、勝手に入りました。」と言ったら、「どうぞ、どうぞ・・」と笑顔で言ってくれました。

 「北洋館」には旧軍の資料が展示してありますが、個人的には今一つ「おぉぉぉ・・・!!」と感嘆するような物が無く、何か物足りない感じがする。

 ほとんど旧海軍の資料でしたが、もおチット現在の海上自衛隊資料・制服等が展示してあっても良かったのではないかな。魚雷艇・水上発射管、北洋館、田名部海辺33観音霊場記

 この「北洋館」は、旧海軍士官の社交場だったそうで、建物自体は歴史を感じる物でした。

 外には魚雷艇の発射管が飾ってあり、説明看板を読むと、今ではレーダやミサイルの発達により、魚雷艇の高速・敏捷性を武器として、敵艦間近まで接近攻撃する魚雷艇は、平成6年を最後に除籍となり、その役目が終えたらしい。

 へえぇぇ~、そおだったのか・・・まだ現役でガンバッテいると思っていたが、一つの時代が終わったのですねぇ。北洋館スタンプ、田名部海辺33観音霊場記

 そおいえば昔、護衛艦に乗せてもらった時にも、このような発射管が有ったが、今はもう載せていないのじゃろなぁ。

 護衛艦が入港したらしくラッパが鳴ってるのが聞こえ、その方を見ましたが樹木に遮られて海は見えません。

 σ(*_*)が美青年の時に舞鶴に居た事が有り、日没時の各艦そろって一斉の艦旗降下とか、入港・巡検ラッパ等を見たり聞いた事が有ります。

 イベントで護衛艦に乗せてもらって以来、10数年ぶりに聞いたラッパの音は懐かしかった。

4・32番「常楽寺」

常楽寺、自転車で巡る田名部海辺33観音霊場記   常楽寺・本堂、田名部海辺33観音霊場記    常楽寺・柳、自転車で巡る田名部海辺33観音霊場記

 「北洋館」の前を通り過ぎ、国道の脇に梵鐘のようなのが有るなあ・・と思った所が田名部海辺33観音霊場の4・32番札所「常楽寺」でした。恐山大湊参道第一観世音菩薩・常楽寺、田名部海辺33観音霊場記

 朝7時頃なので「常楽寺」本堂の扉が開いてるかなと思ったが、どおしても・こおしても扉が開かないので、扉前で一曲だけ吹いて参拝しました。

 境内を散策すると地蔵さんがあり、説明を読むと「恐山大湊参道第一番観世音菩薩」と書いてあります。

 へえぇぇ・・ここから恐山に向かっての参道が有ったのかぁ・・知らなかったなぁ、もっと早く知っていたら、参道を歩いてみる計画をしたのにぃ。海軍戦傷病没者・留魂之碑・常楽寺、田名部海辺33観音霊場記

 地蔵さんは、それほど風化されておらず、姿形もハッキリしていました。

 敷地内に「海軍戦傷病没者」の慰霊碑と看板があり読んでみると、終戦間際に陸奥湾で「常磐」「柳」の2隻の軍艦が米軍の空襲を受け、殉職者達がここに一時埋葬されてたらしく、そお言えば「北洋館」に座礁している写真が有りました。

 これも「縁」と思い、「海ゆかば」を尺八で吹こうとしましたが、最初の出足の音がどうしても決まらず、諦めて「手向」を吹きました。

入港ラッパ

 田名部海辺33観音霊場の札所「常楽寺」前にある坂を海に向かって下り、旧道を自転車漕いでる時に護衛艦の入港ラッパが聞こえます。掃海艇隊、大湊基地、田名部海辺33観音霊場記

 入港の様子を見たかったが間に合わず、艦船の溜まり場近くの空き地で、何か面白い事でもしないかと、しばらく船を見ていたが、特に何もしなかった。

 ちなみに写真の船の艦籍番号を帰ってからネットで調べてみると、左の大型艦より掃海母艦「ぶんこ」「うらが」で、岸壁を隔て、掃海艦「やえやま」「はちじょう」掃海艇「なおしま」「とよしま」でした。


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます


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