「芦野公園駅」付近で車中泊し、静かで良い所でした。
出発して「川倉賽の河原地蔵尊」へ行こうとしたら、踏切付近で道を間違って公園の方へ入っちまい、引き返してやっと正規の道を見つけて「川倉・賽の河原地蔵尊」へ行くと、時間が早過ぎて堂の扉が閉まってます。
普通の寺だったら無理して堂内に入るつもりは無く、境内に見る物が有ったら、それを見て次の所へサッサッと行くのです。
しかし、この「川倉・賽の河原地蔵尊」堂内だけは、どおしてもこおしても冥土の土産話の種に堂内へ入りたかった。
下調べした時、ここはあまり世に知られていないけれど恐山と並ぶほど、もんのすんごい歴史の有る霊場で、そのスジのマニアの人にとっても有名な箇所らしく、まぁ・・・名前からして、それらしいですわなぁ。
本堂入口の彫刻も「賽の河原」風景で、鬼が子供をイジメテるのを、雲の上から地蔵さんが眺めています。
境内を一回りすると、卒塔婆が立ち並んで、何のマジナイなのか、石がたくさん積んである不気味さ漂う場所が有り、側の看板には「蛇塚」と・・何ともはや・・オトロシそうな名前が・・
説明書きを読むと、明治の頃、ここを人が通る毎に無数の赤蛇が鎌首を上げるので「イタコ」に口寄せしてもらうと「天明の飢饉で餓死した無縁仏が供養して欲しくて表れてる」と言ったらしく、ここに塚を建て供養したら、以後蛇は出なくなったそうな。
付近の石地蔵?にも着物が着せてあり、その付近から下へ降りる坂道が続いているようです。
時間が有ったら行っても良かったのですが、なんせ先の行程が有るもんで行きませんでした。
これを書いてる時にネットで調べると、下へ降りる坂道の先に「賽の河原」という場所が有ったらしい。
そいでもって、昔の「賽の河原」は現在の場所(行ってないけど)ではなく、偶然来る時に写真を撮った「藤枝溜池」に掛かる橋付近だったそうな。
改めて写真を見ると、今は草が茂っていますが溜池になる以前は河原で、いかにも子供が石を積みそうな雰囲気が有ったのかもしれない。
一回りしても本堂の戸が開きそうでもないので、津軽33観音霊場の次札所へ巡礼をして帰りに寄る事にしました。
今日の津軽33観音霊場の巡礼予定が終わり、もう一度「川倉・賽の河原地蔵尊」へ行くと、今度はちゃんと戸が開いており、参拝家族が一組だけ居て受付で何か話しをしています。
本堂内部は広々としており、尺八を吹くとコンクリ造りのためか響きが良かったので、「手向」と「三谷」を吹きました。
参拝中、越後屋が本堂内をウロつき「本尊の裏に納まってる地蔵群や着物が掛かってる場所へ来ると気分が悪くなり、それ以上進めない。」と言って外へ出ました。
こいつは霊感が有るのか、ホコリっぽい所がダメなのか、四国霊場でも、そおいう箇所が一箇所だけ有りました。
他の人のHPを見たり、田名部海辺33観音(下北)霊場巡りで会った人から聞いたりすると、この「川倉・賽の河原地蔵尊」ではゾクゾクと何かを感じる人も居るらしい。
本尊左の方から裏へ回ってみると、いきなり天井から着物が一杯ぶら下がっており、なんじゃ、ここは?・・アルバイトで古着を売ってるんか?と思っちまったでぇ。
壁際にはチッコイ地蔵さんがズラアァァ~と着物を着て並んでいて、草履も山ほど置いてあり、そお言えば恐山へ行った時に、草履と手拭いを納めると聞いたなぁ。
本堂内を一周しましたが、自分には特に何も感じません。
これは、信心も無いのに各地霊場を巡った時の仏さん達が、しかたなく守ってくれたためか・・・尺八の音が、その場の空気を綺麗に浄化させるという説のためか・・・それともボオォ~とした人物なので、霊感というものがまったく備わって無いためか・・
しかし・・まぁ、確かに楽しい雰囲気とか、華やかで面白いという所では無く、何というか・・・雰囲気的にあまり長く居たくない・・重く感じる・・というのが当たってると思う。
恐山のように観光地化されておらず、参拝者もほとんど居ない静かな「川倉・賽の河原地蔵尊」霊場でした。
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