篠栗88箇所霊場の16番札所「呑山観音堂」入口付近が工事中で、狭い通りの門前茶店からはジサマが、その隣の茶店からはバサマから、それぞれ声を掛けられました。
店が1件だけだったら、コンニャク程度は食べても良いのだが、気弱な性格なので店が隣同士で並んでいると、1件の店に入っちゃうと、もう一方の入らない店には悪いような気がする。
16番札所「呑山観音堂」境内へ入ると本堂から太鼓を叩きながら読経が始まり、お勤めの時間かな?・・と思って堂内を見ると、祈願する人が居たようでバサマが座ってました。
祈願の最中なので自分の尺八参拝を割り込むわけにはイカンので、境内に有る藤棚下のベンチで待ちました。(一番上の写真)
低い太鼓の音と読経は、なかなかのもので、それを聞けば悪霊も退散するじゃろなぁ。
時刻は3時・・・ホントは、このままの調子だと夕方まで麓に帰り着けるかと心配なのだが・・
祈祷が終った時に、すかさず堂内に入り込み、何が有っても、これ以上待てん・・とばかりに尺八参拝を始めました。
が・・・尺八を吹いてる時に曲の途中を省略してしまい、その瞬間、あっ!!・・と思ったが、改めて最初から吹き直すワケにもいかん。
良く似たフレーズが有る曲は間違い易く、どこら付近から、さりげなく間違った所から吹き直すか一瞬で考えるのですが、今回はその気力・コンジョ・思考力も無かったので、そのまま押し通して、何事も無かったように短い曲のようにゴマかしちゃった。
16番札所「呑山観音堂」より車道をテクテク戻り、「萩尾」集落への遍路道は通らず、そのまま車道を下りました。
車道に面した普通の民家のような篠栗88箇所霊場の76番札所「萩尾薬師堂」は、緑の幟が立ってなかったら民家と間違って絶対にわからんと思う。
扉が開き、堂内の両横には地蔵さんが並んでいて、長年の線香の煙のためか煤けています。
線香を立てる香炉は、火鉢を代用しているようですが無人の庵なのに灰がキレイにならしてあり、きっと地元の人が毎日手入れしているのでしょう。
尺八を吹いて参拝したが、越後屋にもわかるらしく「疲れているね。尺八の高音が出ていない。」と言います。
そおなんです・・正直言うと、久々に歩いたもんだから、ここへ来た時には足が痛くて、もんのすごく疲れていました。
疲れてくると、高音の息が続かなくなり・・・それよりも、意識がボオッ~としちまい、指が動かなくなったり、曲を間違ったりする事が多いんですねぇ。
おまけに、76番「萩尾薬師堂」を出て出発しようとした時に、はて?納札を入れたかな?・・・と思い、もう一度堂内へ入り、納札箱を確かめたが底が深くてわからない。
納札箱をひっくり返して確認するほどの元気も信心も無く、わからんけれど、まぁいいや・・と、コンジョナシの考えが支配して結局、納札を入れ直しませんでした。
76番「萩尾薬師堂」のすぐ近くに、47番札所「萩尾阿弥陀堂」が有り、これも緑の幟が見えたのでわかりました。
階段付近に古い堂が有り、千社札も貼ってあるところを見ると、昔はここが堂だったのだろうか?
この札所も76番と同じように、堂内の両脇に地蔵さんが並んでます。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「産安」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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