HOME > 紀行文「目次」 > 五島列島・教会巡り「目次」と「地図」 > 4 牢屋の窄
2018/5/30 旅行
五輪教会・駐車場より「蕨」集落へ向かって、車道をテクテク・・・
「五輪」へ行く途中のタクシーから、この車道風景を眺めてましたが、ハッキリ言って車道から見る風景はオモロナイ・・・
海の側を通っているのですが樹木で遮られており、ほとんど海が見えません。
で・・やっと樹木の間から海が見える所が数か所あり、その写真が上の写真です。
開けた土地へ来ると「福見」の看板があり、そお言えばタクシーの運ちゃんが「この「福見」には、まだ人が住んでいる」と教えてくれました
これを書いてる時に調べてみると、赤穂浪士47士の一人で生き残った足軽だった寺坂さんの墓が「福見」の寺に有るらしい・・たぶん伝説だと思うが・・。
この寺坂さんの墓は全国に七箇所あるそうで、その一つは伊豆横道33観音霊場を巡った6番「慈眼寺」に有ったらしい・・その時も後で分かった事でしたが、これも偶然の「縁」でしょうか。
「福見」から先の車道は狭くなったりするので、所々に車の待避所までの距離が書いてある看板が有りました。
歩いてると斜面に白百合の群生が有り、この後も五島の各島々へ行くと所々に白百合が群生している所があり、後で知ったのですが白百合は「聖母マリア」の象徴だそうです。
言われてみれば、イメージ的にも清楚な感じがしてピッタリですね。
ちなみに一番上にある写真の白百合は、「牢屋の窄」に咲いてたものです。
「五輪」から一時間ほど歩いて「蕨」集落が見え、来る時にタクシーから見つけた「蕨小中学校」へ寄りました。
「蕨」集落より、樹木が茂ってるだけの、あんまり面白くない車道を歩き、峠頂上附近に「折紙展望台」への三差路があり、すぐ近くならば寄るのですが、2kmほど離れているよおなのでヤンピ。
この「折紙展望台」は地元の人達が作った展望台だそうで、景色が良いらしい。
海の側をテクテク歩いてると「牢屋の窄」が有り、明治初めに6坪の小屋に200人のキリスト信者を押し込めて拷問した牢屋の跡だそうです。
σ(*_*)は学が無い人間なので「窄(さく)」という字の意味がわからず調べてみると「せまい・すぼめる」という意味らしく、それでやっと「牢屋の窄」の意味がわかりました。
入口ブロック塀の上に椿が描かれた小石が置いてあり、1個100円の無人販売で、「ふみちゃん工房」が作者らしい。
上手に椿を描いた手作り感が有り、良い想い出になる土産だと思い2個買いました。
「ふみちゃん工房」をネットで探してみましたがヒットしなく、久賀島に住んで居られるのでしょうか。
階段を上がった所に説明看板が有り、その付近に牢屋有ったらしく、教会の所が跡地ではなかった。
「五島崩れ」という言葉が有り、初めは何の事かわからなく、百姓の人々が悪代官に苦しめられて、村人全員が村を捨てて逃げ去った事件かと思ってました。
そうでは無く、「五島崩れ」というのは明治初めに隠れキリシタンの人々を捕まえて迫害した事件だそうで、それがこの「牢屋の窄」に代表されるらしい。
明治といえば江戸幕府が倒れて西洋文化が入って来たから、信仰の自由もあったのかと思ってましたが、当初は江戸時代と同じだったよおです。
神父が「牢屋の窄」の悲劇を西洋に伝えると日本が避難され始めて、やっと明治政府がキリスト教を認めたらしい。
教会内部のカーペットが途中で色が変わっており、その範囲が6坪の広さを表しているというのを、これを書いてる時に知り、よぉ~見ておけば良かったなぁ。
五島へ来なかったら、このような歴史が有るのも知らなかったと思う。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アヴェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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