HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 4 日 光
旅行日 2015.8.19 掲載日 2015.11.25
私達は今朝早く、小雨降る中を出発した。
そして8マイル続く杉の並木の下の坂道を、まっすぐ登って行った。 草木は良く繁殖していた。
高梨健吉「イザベラバード 日本奥地紀行」より
「道の駅」を出て国道を少し走り、「杉並木公園」横から杉並木道へ入りました。
地面は舗装されておらず、車の通りも無いもんだから、最初は車両通行禁止?かと思ったが、そのような表示は有りません。
それでも遠慮しながらチョロチョロ走り、怒られたら、すぐに逃げようと思ってましたが、この道は車両も入って良いよおで、昨日通った車道の杉並木よりも、昔的な雰囲気が残ってます。
「砲弾打込杉」が有り、杉の幹に戊辰戦争時の傷跡が付いており、きっとイザベラ・バードも、この杉を見て「やぁねぇ~・・日本人は野蛮ねぇ」と思った事でしょう。
しばらく杉並木を行くと、やがて道路が石畳になり、雨の日は滑るじゃろなぁ。
そこにチッコイ堂が有り「竜蔵寺跡薬師堂」らしく、境内にキレイな百合が咲いてました。
釣鐘が置いてあるなぁ・・と思ったら、石で出来ており、果たしてこの石の釣鐘は、どのような音がするんじゃろ?
石畳が終わる所で再び国道と合流し、日光駅付近で「道の駅」でCD交換した「わらしべ長者」大学生が追い抜きながら挨拶して行きました。
ワシの方が先に「道の駅」を出たのですが、杉並木をゆったり眺めながら走ってたので追い付いたのでしょう。
同じく中禅寺湖へ行くと聞いてたが、同じ原付バイクなのに、あっちの方が馬力あるからなぁ。
私が鉢石で外国人を接待できるような美しい宿屋に滞在することは、もともと、計画の中にはなかった。
そこで私は伊藤に日本語の手紙を持たせて、半マイル先の(金谷家)の主人に使いに出した。まもなく金谷さんという私の宿の主人が迎えてくれた。
高梨健吉「イザベラバード 日本奥地紀行」より
中禅寺湖へ向かってる途中、東照宮手前の「神橋」付近で、「金谷ホテル」の看板を見つけ、あっ・・イザベラ・バードが泊まったホテルだと思って、あわててバイクを止め、「金谷ホテル」の急坂を上りました。
その坂が半端モンじゃなく、「チョイノリ」で上るのがカワイソーに思うほどの勾配があったので、途中でバイクを置きました。
さすが高級ホテル・・ホントは入ったらアカンのでしょうが、チビッと門から敷地の一部へ勝手に入らせてもらい写真を撮りました・・・すんまへん。
で・・・これがイザベラ・バードの泊まった「金谷ホテル」で、時代も変わったから建物も当時の物とは違うのだと、堅く信じていたんです・・・この時までは。
が・・・これを書いてる時に調べ直すと、イザベラ・バードはこのホテルに泊まっておらず、当時まだこのホテルは出来てなく、その15年後の1893年開業でした。(T_T)ワアァ~ン・・・
そいじゃ、どこに泊まったのじゃと調べたら、もう少し中禅寺湖方面へ行った所に有る「金谷ホテル ベーカリー侍屋敷店」に泊まったらしく、建物も当時のまま残ってるらしい。
あちゃあぁ~・・・失敗したなぁ・・あの辺は数回ウロついてたのにぃ、気付かなかった。
急流がその激しい勢いを二つの石の壁で止められた所に橋がかけられている。
にぶい赤色の漆が塗られて、両側の二つの橋脚に支えられ、二本の石の横梁らよって結ばれている。
辺り一面が濃い緑色とやわらかい灰色に囲まれている中に、橋の明るい色はうれしい。
人力車の道はここで終わる。 もしこれから先に行きたいと思うならば、歩いてゆくか、馬に乗るか、あるいは籠で行かねばならない。
高梨健吉「イザベラバード 日本奥地紀行」より
この「神橋」のT字路は、いつも信号で車が渋滞して混んでますねぇ。
「神橋」付近から、ゆっくり写真を撮るヒマが無かったので、対岸の適当な道端にバイクを止めて歩いて写真を撮りに行きました。
こおいうのはバイクだから出来る事であり、車だったら「ゴルァ~、こんな所に停めるんじゃねぇ。」とドヤシつけられるでしょう。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アブェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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