HOME > 紀行文「目次」  > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) 24 五十里


 五十里 旅行日 2015.8.20    掲載日 2016.1.9


イザべラ・バードが泊まった「五十里」/資料と現在

五十里ダム・資料館

 私達はそこを出発した。 五十里まで歩いて5マイルである。どしゃ降りの雨にうたれながら、新しくできた路を進んだ。五十里ダム

   高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より


 σ(*_*)が「五十里」へ行った時も雨が降っていました・・どしゃ降りではなかったが・・

 五十里ダムからは、イザベラ・バードが歩いた川沿いの道が見え、「新しくできた路」というのは、たぶんダムから見て川の左の道だと思います。五十里ダムより

 五十里ダムに資料館が有ったので、入ってみました。

 どうせ大した事は無いと思ってたのですが、旧「五十里」集落の資料が多く展示されており、不確かだった村がどこにあったのか特定でき、また村の様子が良くわかります。

 旧道はダム水底に沈んでると思ってたのですが、ダムの両側に有る道のどちら側を行こうかと思ってました。

 しかし、資料の地図を見ると、どおやらダム湖の右側が旧道だったらしく、来て良かったなぁ。

海尻橋    五十里湖     高木六衛門の墓

 「海尻橋」を渡り、「高木六衛門の墓」がある所へ行ってみると公園化されており、ホントの墓は近くの山の高台に有るらしい。五十里湖

 で・・「高木六衛門」という人物は、どんな人か知らなかったのですが、看板説明によると・・江戸時代の日光大地震で川が塞き止められて、ここに大きな湖ができたらしく、会津藩主から藩士の高木さんに「お前、行って治してこい。」と言われたそうな。

 高木さんは湖水の切り落としを計ったのですが失敗しちゃい、その責任を取って切腹した人物だそうです。

旧「五十里」集落

馬頭観音群      長念寺      長念寺

 あたりは人家もなく、人の姿も見えなかった。現在の五十里集落
 広い谷間に下ってゆくと、静かな渓流は物さわがしく流れる鬼怒川と合流する。

         高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より


 ダム湖水の右側道をトロトロと走ってると、道端に石碑が有り「馬頭観音」の石碑群で、石碑が有るという事は、やっぱりここが旧道だったのでしょう。旧五十里の地図

 さらに行くと、山側に長い階段が有って「長念寺」と看板も立っており、「寺」と名付くからには、それなりに大きい堂かと思って行ってみましたが、石仏を納めただけのチッコイ堂でした。

 さらに1マイル進めば、この山あいの美しい部落に出る。 個数は25軒で、男鹿川という谷川のそばにある。

 五十里の部落は山の傾斜地に集まっており、その街路は短く原始的に見えるが、雨が晴れて明るく輝くときには、その温かい茶色と灰色の風景は、実に魅力的である。

 私の泊まった場所はこの宿駅の本陣で、丘の上にある。 板葺き屋根に代わって茅葺き屋根になっているので、村の姿もだいぶ良くなった。

 急な屋根、深い軒端と縁側がある。 ごたごた混雑している農家風景も、奇妙で面白い。

    高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より


      旧五十里集落の絵図
五十里集落跡  五十里集落跡 旧五十里集落   
      旧五十里集落     大塩沢橋

 五十里ダム資料館で見た絵図によると、現在の国道付近から対岸へ数本の橋が架かっており、橋を渡った所に旧「五十里」集落が有ったようで、この絵図は当時の様子が良くわかります。

 なお関連地図や古い写真等は、五十里ダム資料館に展示してあったものを、安物のデジカメで撮ったものです。

 ここにアップしましたが、著作権に引っ掛からなければ良いのだが・・・できれば、カワイソーだからと思って、お慈悲を頂き黙認してください。m(_ _)m オネガイシマスダ・・


   川治、イザベラ・バードの道←前頁「川治」へ   次頁「横川」へ→横川、イザベラ・バードの道     


 恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アブェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。



以下、広告です。


老後の趣味に憧れのピアノを始めてみませんか?  
 <レンタルボックス>の種類・料金を見る
 <レンタルボックス>を自宅周辺で探す  

  中学英語を使える英語に!