HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編)> 25 横 川
旅行日 2015.8.20 掲載日 2016.1.11
好天気に恵まれて、五十里から横川まで、美しい景色の中を進んで行った。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
五十里から男鹿川を遡って走ってると、川端に大きい看板があったので、野次馬コンジョ出して読んでみました。
「正面の地蔵岩上に鎮座いたします地蔵尊の云われ」と題して書いてあったが、その看板に向かっての正面の岩に地蔵さんが見当たらない。
ひょっとして男鹿川の中に転がり落ちたのか、はたまた別の岩上らしい所に有るのか探したが、やっぱりわからん。
年代的には江戸時代から有った地蔵さんなので、イザベラ・バードも見ていたと思う。
「チョイノリ」を、男鹿川に沿ってトロトロと走らせましたが、川がキレイですなぁ。
秋の紅葉時期に来ると良いだろなぁ・・と思って後日来たが、晩秋で遅かった。
やがて最初の「独鈷沢」集落を過ぎました。
「中三依」集落の入口付近には、「おやしろさま」の看板がある神社と、階段上に、いかにもアリガタそうな石仏が奉ってある「子育て地蔵」があり、イザベラ・バードもこの前を通ったでしょう。
「上三依塩原温泉口駅」は、先を急ぐのでサラッと記念撮影しただけで寄りませんでした。
そして横川の街路の中で昼食をとった。 茶屋では無数のノミが出てくるので、それを避けたかったからである。
すると、私のまわりに村の人達のほとんど全部が集まってきた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
道端に看板が有るなぁ・・と思って止まったら、そこが「横川関所跡」で、うっかり「横川」集落内を通り過ぎるところだった。
横川関所跡付近からグイッと直角に旧道に入ると、「横川」集落入口に墓が二基有り、ここら付近の風習は村の入口に墓を作るのか・・と思ったら「横川宝筺印塔」の看板があった。
安土桃山時代の作らしく、イザベラ・バードも「何これ?」と思って見たのでしょうか。
「横川」集落の数百mの道筋は静かで閑散としており、もう廃業して人気の無い「福田屋」の看板が掛かっている旅館がありました。
イザベラ・バードは、この「横川」集落道筋で、どの付近で昼食にしたのでしょうか。
そりゃあぁ・・道端で、初めて見るガイジンさんが飯食ってると、娯楽も変化も無い所だもん・・珍しがって村中の人が見に来ますわなぁ・・イザベラ・バードには、気の毒だけど・・。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アブェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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