HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 31 市野峠越え
旅行日 2015.8.21 掲載日 2016.1.26
私は翌朝早く出発し、噴火口状の凹地の中にある大宅という小さな美しい湖の傍を通り、それから雄大な市川峠をのぼった。
・・ひどい山路に入った。 これは幅が約1フィートの道で、側面に波形が続いていた。
その凹みは1フィート以上も深さがあり、駄馬がいつも前の馬の足跡を踏みならしたためにできたものである。 どの穴も泥沼のように泥がねばりついた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
今は「大内ダム」湖の下に沈んでおり、昔は、その辺に大宅池が有ったらしいが、どの辺なのかネットで調べたが片鱗も出てこなかった。 だれか知ってたら教えてね。
大内ダム周辺道路を走り「市野峠」へ上がりましたが、この上り坂の勾配はキツイ。
どれほどキツイ勾配かというと、「いろは坂」を上がった時よりも速度が落ち、足で地面を蹴りながら助太刀してやらんと、「チョイノリ」はよぉ~上らんのです。
舗装された車道でさえも、こんな状態だったのだから、イザベラ・バードが通った昔の旧道はもっとキツかったでしょうなぁ。
峠の頂上は、他の多くの場合と同じく、狭い尾根になっている。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
市野峠からの展望は樹木にジャマされて、ほとんど見えませんが、秋に来た時には、木々の間から遠方の山が望めました。
山路は、山の反対側に下ると、ものすごい峡谷の中に急に降りてゆく。 私たちはその峡谷にそって1マイルほど下って行った。
樹木の茂った断崖の間から、うねうねと林の続く平野を見下ろすと、森林におおわれた連山が周囲にそば立ち、平野は深い藍色の中に包まれている。 高くそびえる峰々は深雪を頂いていた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
市野峠車道から旧道へ降りる道は、以前「御蔵入り三十三観音霊場」巡りの時に来たので知っており、峠より少し下がった所に「イザベラ・バードの道 日光街道」「上の道」の標識が立っています。
昼飯も食ってないので、その付近の広くなった待避所で「ワレセン」とバナナを食べて侘びしい食事・・なんせ腹が減って、途中で遭難したらアカンからね。
ちなみに国土地理院の地図には、市野峠への道は破線しか記載されていなく、それがたぶん旧道でしょうが、車道へ下りた位置が違ってるような気がします(上の写真、地図の赤線箇所)。
また地図には、車道が途中で切れていますが、大内ダムまで開通しています(写真地図の青線箇所)。
「チョイノリ」を待避所に置き「上の道」から下りて歩くと、最初は少し草が有りましたが、その後は九十九折りの道で、思った以上に山道はシッカリしており、迷うような箇所はありません。
あ・・途中で木が倒れてる所が一箇所有り、バイク・自転車でこの道を行くのは止めておいた方が良いです、人間は軽く越せましたが・・。
あんまり有名でない峠だから、もっと荒れてるかと思ってましたが、途中に「炭焼き釜跡」の看板も有り、一応観光客のために何かしてくれているようです。
イザベラ・バードが書いてる「森林におおわれた連山が周囲にそば立ち・・」という風景は、途中で一箇所あり、写真に撮りましたが、たぶんこんな風景だと思う。
やがて車道が見え標識の有る所へ降り、車道に降りた付近は草が生えており、「広場」と書いてある表札が、草の中に倒れていたので直しておいた。
地図によると、この付近からさらに下へ降りる道が有るはずで、車道をウロウロ探したが、頼りになる「イザベラ・バードの道」標識が無いのでわからん。
ネットで事前調査した時には、下から市野峠へ上がって来た人の記録が有り、それによると途中に池があるらしい。
「広場」の奥付近から下りるのかなぁ・・たぶんこの「広場」は、車道を作った時の土砂捨て場になり、旧道が消えたのだと思う。
「広場」の奥付近から下りるのかもしれないが、下草が生えていたので行くのをヤンピして、「チョイノリ」が置いてある所まで車道を歩いて戻りました。
途中で脇道が有りましたが、今歩いた山道のよりも広く、林道のような感じがするので違うと思い、行きませんでした。
だれか市野峠「広場」からの下り口を知ってたら教えてね。
傍を流れる川は雷のような音を響かせて、私達が何を話そうとしても、かき消されてしまう。
山を下る終わり近くで、私の雌馬は反抗して手に負えなくなり、私をのせたまま、見苦しい姿で早駆けをして、市川という村に入った。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
車道を下りて行くと、やがて川沿いになりますが、イザベラ・バードが書いてるような「音を響かせて・・」というほどの急流でもなく、大きくもありません。
山側に小さく「イザベラ・バードの道」「山ノ神橋」の表札があり、少し入った所に古い木橋が架かっています。
させに車道を少し行くと、市野峠から旧道へ下りた所に有った「イザベラ・バードの道」標識と同じものが立っており、こちらの方は道幅が広い。 どちらの道が、正しいのじゃろうか?
道幅から言うと、「山ノ神橋」の方が正しいと思うが、たぶん途中で一緒になるような気がする。
ほんの少し行くと「北の上地蔵」があり、清水がドンドコ流れており、まぁ・・少しは音がするが、話しが出来ないほどのヤカマシイ音でもない。
たぶんこの付近から、イザベラ・バードの乗った馬が反抗して「市野」集落へ入って行ったと思うので、イザベラ・バードは、それどころでなかったので、この清水は飲んでないかもしれません。
車道の途中に、「イザベラ・バードの道」標識が有り分かれ道になってましたが、川沿いであるだけで大したこと無いと思い、そのまま車道を走りました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アブェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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