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 片門。イザベラ・バードの道 旅行日 2015.8.23    掲載日 2016.2.1


鐘撞堂峠より「片門」集落へ/イザベラ・バードの道

鐘撞堂峠

「気多宮」の道死ね部、イザベラ・バードの道   鐘撞撞峠へ。イザベラ・バードの道     鐘撞撞峠付近、間違った道へ入る。イザベラ・バードの道

 ・・・それからは山また山の旅である。 道路はひどいもので、滑りやすく、私の馬は数回も滑って倒れた。

 手荷物を載せた馬には伊藤(通訳)が乗っていたが、真っ逆様に転んで、彼のいろいろな荷物は散乱してしまう有様であった。

    高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より


 「多気宮」に大きな道標があり、「是より右越後路 左柳津路」と彫ってあります。間違った道、鐘撞堂峠。イザベラ・バードの道

 緩やかな県道43号線の車道を上がり「鐘撞堂峠」と言うらしいが、そんなにキツイ坂ではありまへん。

 地図を見ると「鐘撞堂峠」付近でS字路になってる旧道が有るはずで、これがそおだろうと思って脇道へ入ると、いかにも旧道そうな山道に入りました。

 が・・そこで、ふと地図ではS字等路が麓まで下りるようになっているが、この道はそんなにS字になっていないなぁ・・と思って、地図を見直すと、そしたらS字道の旧道の手前に一本道が有り、それに入ったよおです。

 あちゃあぁ・・まぁ、それほど来てないから早く気がついて良かった・・ついでに、ここでチッコしてこぅ。

旧道、イザベラ・バードの道    旧道、行き止まり。イザベラ・バードの道    県道より「舟渡」方面を望む、鐘撞堂峠付近より、イザベラ・バードの道

 県道に戻り少し行くと、目標のS字カーブの道が眼前に見え、よっしゃあぁ・・今度こそ間違いない。

 もう車も通ってないのか、車道は草に覆われかかっており、テクテク・・歩いてカーブを曲がると・・・ガアァ~ァン・・!!・・行く手には、草が茂っており道が有りません。「坂下」付近、イザベラ・バードの道

 ワアァ~ン(T_T)・・・せっかくここまで来たのにぃ・・・地図には麓まで道が付いてるぞぉ・・ゴラ゛ァ゛~・・・(/_;)

 草が茂ってる付近で、道らしいのがないか探しましたが見当たらず、雨の中を泣きながら、元の県道に戻りましたが、県道はS字カーブの旧道を、大きく迂回して麓に通じており、遠回りになって腹立たしかったなぁ。

 麓の「坂下」集落付近で、下りて来る道筋が有るか・・と探しながら歩きましたが見当たりませんでした。

 かろうじて最初の家付近に、これかなぁ・・という箇所は有りましたが、あの草藪の中を掻き分けて、ここまで来るのはキツイだろなぁ。「坂の下地蔵」、イザベラ・バードの道

 ちなみにネットで調べた所、旧越後街道は県道より先程のS字カーブを突っ切って、ほとんど真っ直ぐに麓へ行ったらしく、それほど急な道だから、イザベラ・バードや伊藤さんの馬も滑って転ぶでしょうなぁ。

 道端に「坂の下地蔵」が有り、昔、女の旅人がこの地蔵堂で出産して安産だっので、それから「子育て地蔵」「子安地蔵」と呼ばれるようになったらしい。

 もっとも元は別の場所だったらしいが・・・

旧越後街道

「窪」付近、イザベラ・バードの道    船渡一里塚、イザベラ・バードの道    旧越後街道、「窪」付近、イザベラ・バードの道
旧越後街道、イザベラ・バードの道
 「窪」集落付近のT字路に、コンモリとした雑草が生えてる所に杭が有り何だろお?・・と思って見ると「船渡一里塚」と書いてあります。

 そこのカーブを曲がった所にも木杭が有り「旧越後街道」となっており、おぉぉ・・これは知らなかったと喜んで歩いてみました。越後街道を下りたところ、イザベラ・バードの道

 あんまり人が通ってないらしく、細い道で草も生えており、あっ・・クモの巣が顔に・・ペッペツ・・

 草が茂って道がわからなくなるほどでしたが、すぐに車道に出て、少しはショートカットしたよおですが、距離的には短かった。

舟渡

「舟渡」集落、イザベラ・バードの道    「舟渡」側の舟橋があった付近、イザベラ・バードの道    対岸の「片門」集落を望む、イザベラ・バードの道

 私達は阿賀野川という大きな川にかけてある橋を渡ったが、こんなひどい道路にこんなりっぱな橋があるとは驚くべきことである。

 これは12隻の大きな平底船からなる橋で、どの船も編んだ藤蔓の丈夫な綱に結んである。

 だからそれが支えている平底船と板の橋は、水量が12フィートの増減の差ができても、自由に上下できるようになっている。

   高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
阿賀川の舟橋が有ったところ、イザベラ・バードの道

 「舟渡」集落は、真っ直ぐな道が続いており、行き止まりにガードレールが有り、そこにイザベラ・バードが書いてる「舟を繋いで作った橋」が「片門」まで繋がってた所らしい。

 どんな舟橋だったのだろう?・・と思って、これを書いてる時にネットで探してみると、「BANCHAN WOLD」さんのサイト内「会津考察 東束峠ウォーキング大会」の所に掲載されてました。

 うん、確かに平底船に板を渡した橋になっており、イザベラ・バードは観察力が鋭いでんなぁ。

片門

 伊藤は落馬したために1時間おくれたので、私はその間、片門という部落で、米俵の上に腰を下ろしていた。「片門」集落、イザベラ・バードの道

 この部落は、阿賀野川の上流の山手で、急な屋根の家がごたごたと集まったところである。

 まだ私が馬から降りないうちに、一頭の性悪な馬が私に烈しくぶつかってこようとしたが、大きな木製の鐙に当たっただけですんだ。

   高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より


 「藤街道別」バス停から、ずう~っと6kmほど歩き通しており、オマケに道を間違ったりしたので一休みしたかったので、「片門」集落内へは入りませんでした。「片門」バス停付近、イザベラ・バードの道

 ホンマは、イザベラ・バードが米俵に腰掛けたのは、どの辺かも見たかったのだが・・

 水戸黄門は米俵に腰掛けて、オババから、ぶん殴られた逸話が有るけど、イザベラ・バードは、ドツカレなかったのかな?

 「片門」バス停が有ったので、そこで一休み、つかれたぁ~・・・


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 恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アブェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。



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