HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 36 胄神社
旅行日 2015.8.23 掲載日 2016.2.9
束松峠を出発して少し行くと「戊辰戦争塹壕跡」の木杭が有りました。
塹壕跡といっても、今は気のせい程度の窪地に草が茂っているだけで、木杭が無かったら全くわからず、イザベラ・バードが通った時は、どんな状態だったのでしょうか。
ただ・・この付近から道がカーブになっており道幅もそれなりに有るが、どうもこの道は後で別に新しく造ったような気がしてならん。
今まで旧道を歩いて来た経験・感覚から言えば、カーブの道ではなく「塹壕跡」脇を真っ直ぐ下りて行くような気がします。
「塹壕跡」付近に道はないか・・と一瞬探しましたが、藪になっているので、わかりませんでした。
あきらめてカーブの道を歩いて行くと、日当たりが良いせいか、けっこう草が茂っていますが何とか道はわかります。
しかし、歩いていても、やっぱりどうしても新しい道のような気がする・・何と言うか・・雰囲気的に・・。
ネットで調べてると、ワシのような疑問を持って歩いた人は全く居ないよおで、皆さんそのままカーブの道を素直に歩いてるようでした。
やがて林道と合流し、その付近から下の県道へ下りる旧道が有るはずですが、あまりにも草が茂っていたので、あきらめて遠回りになる舗装道路を下りました。
束松峠から下りた最初の集落「軽沢」は、件数が少ない集落ですが、昔の風情を良く残しており、きっとイザベラ・バードも、ここら付近で一休みした事でしょう。
・・・下を流れる急流の向かい側には、すばらしい灰色の断崖がそそり立ち・・
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
国道沿いの「大畑」集落・・と言っても、これも数件しかないが・・を過ぎ、やがて右側に大きな崖が見えます。
イザベラ・バードは、この先の「野沢」を過ぎた箇所で「すばらしい灰色の断崖」と記載していますが、該当箇所付近には、どおしても「すばらしい」とまで、わざわざ記載するほどの「灰色の断崖」が有る場所はありません。
もし「灰色の断崖」に感嘆の声を上げるならば、この崖の事を言ってるように思い、下には急流・・と、まではいかんが川も流れてます。
イザベラ・バードは記憶を頼りに書いてるので、場所の前後を間違って「灰色の断崖」を書いたのではないかなぁ。
その「灰色の断崖」と思われる所に「胄神社」が見えますが、地元の人とか、その趣味の有る人以外は、そこに神社が有るとは全く気付かなく、自分もネットで調べて初めて知りました。
赤い橋を渡り、鳥居を潜ると長い石階段が・・ゲッ・・・!!
途中に、単に大きいだけの岩が有り、それが「兜岩」らしく、言い伝えによると「源義家が、ここに兜を置くと、あぁ~らぁ・・不思議、石になっちゃった」そうです。
「胄神社」境内は荒れていなく、地元民による手入れが行き届き、大切にされているのが伺えます。
「胄神社」本体は「灰色の断崖」の中を削ってるようで扉がキッチリ閉まっており、扉上の岩には「胄神社」と大きく彫って朱が入ってます。
「兜」と書かずに「胄」と書いてるのが、いかにも古く云われの有る神社の感じがして、そりゃあぁ・・源義家公も途中で休みに来るほど歴史が有ると思う。
扉が開くかな?・・・と思って開けてみると、その瞬間・・・ザザザザッザッ・・・!!
きゃあぁ~・・何が起こったんじゃ・・と思ったら、無数のゲジゲジ達が荷物を抱えて逃げまどっており・・うわあぁ~・・一杯居るなぁ。
中は大きく定規で測ったように四角形に彫られ、さらに中央に小さく彫って、そこに御神体が奉ってあるようです。(一番上の写真)
岩を彫って神社にするのも珍しいでんなぁ。
イザベラ・バードも、この胄神社へ寄ってみたのでしょうか?、来なかったろおなぁ・・長い階段を上がってまでは・・
恥ずかしながら「YouTube」に尺八二重奏「アブェ・マリア」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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