HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) 40 鳥井峠
旅行日 2015.8.24 掲載日 2016.2.18
車峠から津川までの景色は、規模が小さいが、今までとほぼ似たものである。
山々は頂上まで森におおわれ、その間に峡谷がわりこみ、ときには遠くの山脈をのぞかせる。 すべてが緑色の草木におおわれている。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
車峠から下りる旧道は、地図を見るとホンマは現在の「車トンネル」近くに有ったらしいので、車峠麓の「川谷」集落まで戻ってみました。
まぁ・・・特に変わった珍しい物も無く、普通のコジンマリとした集落でした。
宝沢と栄山に来ると、この地方の村落の汚さは、最低のどん底に達しているという感じが受ける。
鶏や犬、馬や人間が焚火の煙で黒くなった小屋の中に一緒に住んでいる。
幼い男子は何も着ていなかった。 大人でもマロ(ふんどし)だけしか身につけておらず、女子は腰まで肌をさらしており、着ているものといえば、たいそう汚れたもので、ただ習慣で身にまとっているのにすぎない。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
イザベラ・バードは「宝沢」と書いてるが「宝坂」の事だと思い、そいでもって、村落が汚いと書いてるが、昔の日本は皆そんなモンで、ここだけが特別に汚い訳でもないと思う。
テレビや映画で時代劇を見ると、お百姓さん達は、ちゃんとした着物を着ているが、ホントの昔は、イザベラ・バードが書いてるような貧しい感じだったように思う。
そおいう点から見ると、イザベラ・バードの書いてる紀行文は、当時の様子を正確に記載しているので貴重な資料だと言われるのも、うなずける。
正直言うと「宝坂」付近は、どんな貧しい集落かと思って来たが、道端には昔は茅葺きだったと思われる大きい家も有りました・・・・屋根が錆びていたが・・。
鬼光頭川に沿って行くと、この川から「オパール」が採れたらしい。
「オパール」というハイカラな宝石の名前は聞いた事が有るが、どんなのかよぉ~知らないので、ネットで「オパール」を検索していると、この鬼光頭川にまつわるカワイソーな「日本昔話し」が有りました。
それにしても、「鬼光頭川」という名前からして、いかにも光モンが落ちてそうな名前ですねぇ。
川沿いの崖の所で「チョイノリ」を止め、「オパール」のカケラでも落ちていないかと欲心を丸出しにして鬼光頭川を見ましたが、小さい普通の川でした。
国道を横切って「宝川」集落の入口にある「安養寺」で一休み。
当初の予定では、「野沢」より車峠を越えてこの「宝川」まで来て、それから「徳沢駅」まで歩く行程にしていましたが、「チョイノリ」で来て良かったと思う。
なんてったって・・1日の歩き行程の所を、朝の9時半頃には、もう着いちゃったもん。
「安養寺」は無人の寺のようであり、境内に何かオモロイモンがないか探すと、木の周囲に木札が一杯取り付けてありました。
この木は神木?的存な在なのでしょうか?、それとも、ここら付近は木に札を付ける風習が有るのかな? だれか知っていたら、教えてね。
「宝川」集落を通ると、「赤岩屋」「高砂屋」と書いた白壁の倉が有り、昔は宿だったのでしょう。
国道を横切って「鳥井峠」へ向かって林道に入りましたが、地図の道を見ると、イザベラ・バードが通った旧道ではなく、たぶん後から作った林道のように思う。
草が茂っている所も有りましたが、「車峠」ほどスゲェ~草の茂り方ではなく、少し広々とした所へ来たと思ったら、ネットの写真で見た錆びた看板が立っており、鳥井峠に到着。
ちなみに、この鳥井峠は福島県と新潟県の県境だそうで、看板もそれを表しているらしく、いよいよ新潟県入りしました。
鳥居峠から「八ツ田」集落までの道は、そんなに草も無く、たぶん鳥井峠にアンテナ鉄塔が有るので、その保守のためにも整備されているのだと思い、あっ・・と言う間に「八ツ田」集落に着きました。
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