HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 51 「沼」
旅行日 2015.6.10 掲載日 2016.3.18
小国駅から汽車に乗り始めた頃から少し雨が降っており、越後片貝駅に着いた時は山が煙っており、雨が降りそうなので、駅でそのまま少し待ちました。
もう良いだろおと出発したら、すぐに大降りになり「きゃあぁぁ~・・」と言いながら、あわてて駅に逃げ戻った。
待合室で少し待ち、霧雨になったので雨合羽を着て出発。
沼川沿いを歩いてると、学校へ行くクールバスが追い越して行き、中の子供達が、こんな所を何を歩いてんだという顔して見ていきます。
昨日、雨の中を泣きながら出てきた「榎峠」出口前を通り、「沼」集落へ入りました。
私はその夜とぼとぼと沼という部落に入ると、彼らの最低の生活状態を見た。 その村の坂道になっている街路を、増水した川の水が流れていた。
人々は、流れが家の中に入らぬように堰き止めていた。 私は雨に濡れ、疲れていた。
あるみじめな宿屋に行くと、そこの女は私を見て言った。 「すみませんが、とても汚くて、こんなりっぱなお客さんをお泊めすることはできません。」 彼女の言うとおりだった。
この部落には馬は一頭もいないので、翌朝になって、5マイルも離れている農家に人をやり、交渉の結果ようやく馬を手に入れた。
沼の部落を歩き回り・・・24軒の家に307人も住んでいたのである。
女主人の話では、沼の人々は今まで外国人を見たことがないという。
それで、雨はまだひどく降っていたが、朝早く村人たちが集まってきた。 彼らは私がしゃべるのを聞きたがっていた。 そこで私は人々のいる眼の前で伊藤に指示を与えた。
高桑健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「沼」集落は思ったより人家が少なく、イザベラ・バードが泊まった宿は、どこかわからん。
イザベラ・バードが「沼」集落に着いた時、川が増水して道に溢れていたのは、集落のすぐ横を流れている「沼川」が氾濫していたのでしょう。
「沼」集落外れの橋付近より、たぶん旧道と思われる道が見えます。
旧道と思われる道は、舗装道路になっており、遠くから見た時以上に勾配があり、墓前を過ぎて少し行くと、その先は草が茂って完全に廃道状態・・・あちゃあぁ・・・・!!。
旧道を通るのを断念して車道まで戻って歩いてると、たぶんこれが先程通る事を断念した旧道の出口と思われる箇所が有り、この状態ならば、何とか通っれたかもしれない。
なんせ旧道の先が、どんなのになってるのか、わからんかったからなぁ・・・。
「わかぶな高原スキー場」分かれ道の所で、一休み。
雨上がりで地面が濡れており、また所々に動物のウンコが落ちてるので、それを避けて場所を探すのに一苦労した。
再び歩き始めると、猿が電柱におり、もう一匹も木の中へ急いで逃げて行った。
Y字路に木杭の道標があり、字が読みにくく「大黒峠 入り口」と書いてあるように思える。
これから行く峠は「大里峠」なので違う峠だと思い、左の道を行くと「関係者以外 立入禁止」の看板が有り、道にロープが張ってあります。
今までの経験上、車が通るのはアカンが、歩くのは良かった事が有ったので、この道もそのタグイじゃろうと思い、ロープをまたいで入りました。
しばらく歩いて高度を上げると、下のほうにスキー場施設の建物が見えます。
地図を確認しながら現在地を考えると、どうも違う道へ来たような気がする。
この「現在地の確認」を頻繁にするというのが、初めての地へ来た時には、もんのすごく重要なんですねぇ。
ここで、ハタッ・・と思い当たったのが、先程の標識杭は「大黒峠」ではなく「大里峠」だったのでは・・と思い引き返し、標識杭の所へ戻ると、やっぱり二匹の猿が居て、あわてて逃げていきます。
標識杭をじっくり見ると、やはり「大里峠」と書いてあります。
先入観が有って、下に4つの点々が有ると思ったのですが無かったのね。
トシ取ると、こおいう先入観が出て来て、ガンコジジイと言われるようになっちまうんでしょう。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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