HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 75 峠越え
掲載日 2016.7.2 旅行日 2015.7.5
金山の戸長と夜おそくまで話をした後、翌朝とても早く伊藤が私を起こして言った。
6時45分に出発したが、頼まれもしないのに戸長は村中に触れを出して群衆が集まらないようにした。
そこで私は駄馬一頭と車夫一人とともに平穏に出発できた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
金山町の橋を渡った付近から、道筋に枝振りの良い松が見え、一里塚後でも有るのかと思ったら「仙台藩士戊辰戦没碑」で、この辺で戦ったらしい。
碑が建ったのは、イザベラ・バードが通り過ぎた14年後なので、松はその時から有ったのか植えたのかわからないが、遺骸を葬った場所なので何かが有ったのを見たかもしれない。
ひどい道路で、けわしい峠を二つも越えなければならなかった。
私は道中ほとんど歩かなければならなかったばかりでなく、もっとけわしい場所では人力車を押し上げる手伝いをせねばならなかった。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
森合峠は、ピラミッド風に見えた山の間を通り、どんな道かと思って通ってましたが全て舗装道路でした。
この道路は明治時代に改修されましたが、イザベラ・バードが通った時は工事の始まる2年前なので、昔のまんまの「けわしい峠」だったのでしょう。
途中に「森合峠」の説明看板が有り、それによると昭和33年に国道が別ルートになったため、この道が廃れてしまったが林道として復活させたらしい。
そおだろなぁ、森合峠はけっこうカーブが有り勾配も有る道だから、そりゃあぁ~皆、楽チンな道を通りますわなぁ。
国道13号線を走ってると、車道横に枝振りの良い松が見え、昔の街道かなぁ・・と思って一度は通り過ぎたのですが戻ってみました。
車幅の道で、松の下に説明看板があり「旧羽州街道 日当たりの松並木」と書いてあります。
「チョイノリ」でトロトロと走らせながら通ってみると、いかにも参勤交代のシーンにマッチするような松が続いてましたが、もっとも距離が短いのが残念だったが・・・
ちなみに「日当」というのは、日当たりが良い・・という意味ではなく、地名のよおです。
主寝坂トンネル手前に、峠への入口の道が有り、見ると、ゲッ・・草が生えてる。
まぁ・・草くらいは生えてるわなぁ・・・覚悟はしていたが、かなり草が道を塞いでいました。(写真では、あまり塞いでないように見えますが)
熊が出ないか心配しながら、たまに情けない音を出す警笛を鳴らして行き、雨量観測所を過ぎて、しばらく行くと三辻の所に出て主寝坂峠に到着しました。
ネットで下調べをして、この主寝坂峠を越せるか・・と探しますと、結果はアカンでした。
国土地理院の地図では、道が破線で掲載されており国道13号線まで行けそうでしたが、「道路レポート」を拝見すると、ドエレエ道らしく、国道付近で合流する所では道が無くなっているらしい。
主寝坂峠T字路の右舗装道路は無線塔へ行くらしく、そのまま真っ直ぐの旧道は草に覆われていました。
知らなかったら、このまま草を掻き分けて進めそうでしたが、ネットで調べて先がわかっているので、ここまでとして引き返しました。
ちなみに主寝坂峠の由来というか伝説は、昔、御姫様とお付きの若者がこの峠へ来た時に雷雨に遭い、頂上付近の朴の木で雨宿りしていたが、だれも居なく心細さのあまり、ついつい二人がヒシッとしあい・・ナニしちゃったらしいです。
若い二人ですもん・・そりゃあぁ~・・そおいうTPOに出くわしたら、ついつい、そおなっちゃうかもしれませんね。
σ(*_*)なんかトシヨリだけど、それでもそおいう場面に遭遇したら、やっぱり、ついついそおなっちゃうかもしれん。
あっ、すみません・・正直に言います・・ついつい・・ではなく、喜んでです。
チョイノリを止めて写真を撮り、お姫様達がナニした場所は、どの辺かなぁ・・と探したが、それらしい所はなかった。
イザベラ・バードが、この主寝坂峠を越えた時は、ちょうど明治の改修が行われている最中だったので、工事してる人に「えらいすんまへんが、ちっと通してください」と言いながら通ったと思う。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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