HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 82 秋 田
掲載日 2016.7.23 旅行日 2015.7.6
9時間の平穏な旅の後に、私たちは、ちょうど久保田(秋田市)の郊外のところで雄物川の本流からそれて、狭い緑色の川を棹を使って進んだ。
川の縁には、家屋の傾いた裏側や船製造所や多くの材木が片側に並び、住宅や庭園、茂った草木が反対側に続く。この川には非常に多くの橋がかけられている。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
秋田市内へ無事に入ることができ、「旭川」沿いに行ってみました。
イザベラ・バードが、棹を使って進んだという「旭川」は、川幅が広いけれど水深が無く、今だったらとても舟が動かないと思う。
せいぜい笹で作ったオモチャの舟ならば、なんとかなるかもしれんが・・・・
秋田市内を走り抜ける時、公園近くに有った日帰り温泉は「田名部海辺(下北)33観音霊場巡り」の帰りに寄った所で見覚えがあり懐かしいでんなぁ。
3マイルにわたり、りっぱな道路は、歩いたり人力車に乗ったりした久保田の人達で半分近くも混雑していた。
広々とした水田が緑の海のように右手に続いている。 左手には青緑色の水を湛えた海がある。 すばらしく上天気で、夏の太陽はすべてに光が注いでいる。
これらは私が今まで日本で見た中で最も陽気でお祭りらしい光景となっていた。
男も女も子供も、荷車も人力車も、警官も乗馬者も、今祭りをやっている港へみな急いでいる。
このみすぼらしい街では神明という神の誕生日を祝って祭りをしている。
人力車がそれ以上進めなかったので、私たちは車から下りて群集の中にわけ入った。
私たちはもっと雑踏しているところへ出かけた。 そこには大きな山車が二つあって、私たちは先程その巨大な建造物を遠くから眺めたのであった。
30フィートも長さのある重い梁を組み立てたもので、中身のしっかりした巨大な車輪が8個ついていた。 その上にいくつかの櫓が建てられ、突出物があった。
一つの台には、寺院の仁王によく似た巨人が真鍮の鎧をつけて、うす気味悪い鬼を殺していた
またある台上には、極彩色の神々と、同じくぞっとするような鬼がいろいろ並べられていた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「土崎神明社」は、交差点を過ぎた時に白い鳥居が見えたようなので、まさかそれでは?・・と思って引き返したら、それでした。
「土崎神明社」の看板が出てると思ったが無く、あやうく見過ごすところで、神社境内は広く本殿の建物が新しかった。
イザベラ・バードは、たぶん道端から祭り風景を見ただけで、わざわざ神社境内まで行かなかったのでないかな?
土崎駅で一休みすると、そこに「土崎港曳山まつり」のポスターが貼ってあり、イザベラ・バードは、このような山車を見たのかもしれない。
私はとても気分がよくなかったので、阿武川というみすぼらしい村で一泊せざるをえなかった。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「阿武川」と書いてあるが、たぶん「虻川」の事だと思う。
この日の旅行で見たものは、低い山と広々とした水田の谷間、ひどい道路と美しい村々、多くの藍草で、通行人はほとんどいなかった。
大きくてしっかり造られた家が、土手で囲まれ、金持ちの家らしく見えるときには、その家はかならず酒を醸造するところである。 看板を見ると、酒を売るばかりでなく、酒を造っていることがわかる。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
道沿いには、あんまり変わったものが無くて人家だらけで、やっぱし100年前とは、雰囲気が違うわなぁ。
道端に説明看板が有り「国指定重要文化財 小玉家住宅」と書いてあり、ほほおぉぉ・・立派な家でんなぁ、さすが国指定になるだけの事は有る。
その近くにレンガ造りの建物が有り、ここら付近は歴史的な建物が有るのだなぁ・・と、この時は単純にそれだけしか思いませんでした。
しかし、これを書いている時に、イザベラ・バードが酒屋の建物の事を書いたのは、小玉家の事だったのかもしれない・・・。
調べてみると、小玉家住宅は明治末期、レンガ造り倉庫は大正時代に造られたよおで、イザベラ・バードは、残念ながらこの建物は見ていません。
しかし、それ以前の建物も、たぶん立派な建物だったと思い、イザベラ・バードは、その様子を書いたのだと思う。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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