HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) >87 米代川
掲載日 2016.8.11 旅行日 2015.7.7
激流は非常に激しくて、船頭は向こう側に棹を立てて半マイルほど流されながら舟を漕ぎ寄せ、約45分かかってこちら側に着いた。
彼らは小津奈木に戻るところで、そこは私達が行きたいと思っていた目的地であった。
大きな川で、深さは8フィートから12フィートもあり、泥の渦を巻きながら流れていた。
ときどき彼らが全力をあげて棹をさしているとき、今にも棹や背骨が折れてしまうのではないかと思われ、舟は一時に3分か4分もそのままじっと震えながら進まぬこともあった。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
米代橋から米代川沿いに行けるかな・・と思い地図をみれば、何となく行けそう。
行けなかったらバイクなので戻ればいいや・・と思って行くと無事に行けて「銀杏橋」で対岸へ渡りました。
米代川は確かに大きい川で、今は水量が少ないけれど、イザベラ・バードの時は濁流ですごかったのでしょう。
上手には水浸しの林があり、男達はこの中に入って樹木を引っばってかなりの手助けをした。
しかしここを出ると、川は米代川に合流し、さらに力を増して一層烈しく音を立てて流れていた。
私は、反対側のはるか上手にいる大きな屋形船を長い間じっと見ていた。
半マイルほど離れた所にさしかかったと思うころ、その船は激流のために舵をとられ、あっという間にくるくる廻り、木の葉のように流されて川を下り、私達の舷側にぶつかろうとした。
私達の舟は、川の流れが強くて身動きできなかった。 ちょうどその船が私達の舟から2フィートのところに来たとき、樹木の幹に当たって、わきにそれた。
その船はぶざまによろよろしながら下方に流れていったが、その大きなマストと帆桁が木にひっかかり、船の流れをとめたので、ようやく船を繋ぎ止めることができた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
米代川沿いに「きみまち公園」と言う高台の公園が有り、川の全景が撮れるかもしれんと思い上がってみました。
ここは明治天皇巡幸で来られた時に、皇后様から「あなたが居なくて、サミシイの・・」という風なラブレターが来た所らしく、最近まで「きみまち恋文全国コンテスト」というのが有ったらしい。
掲載しているこの写真のUカーブ付近で、イザベラちゃんの乗った舟が屋形船に、ぶつけられそうになった所らしいです。
しかし、良くまぁ・・濁流の中を舟を出したもんだと思い、おそらく川上から来た屋形船は舵が利かなかったと思う。
川上に向かって進むのならば舵は利くかもしれんが、下る時は川の流れ以上の速度を出してないと舵は利きまへん・・・経験者σ(*_*)。
近くに「道の駅・ふたつい」のトイレ付近から「二ツ井町歴史資料館」が有り、タダなので入ってみました。
そしたらヒマだったのか説明係のジサマが飛んで来て、いろいろと説明してくれます。
あんまり丁寧に説明されると、この先の行程が有るので時間が無いのだがなぁ。
他の客が来たので、そっちへ行かせて一回りしてから礼をいって帰ろうとしたら「資料館の真ん中に有る木を見たか?」と聞きます。
「なんか神木のようですねぇ。」と答えると、説明するからと言って引っ張って行かれた。
「この木は、千年前に生え、何百んだか生きて倒れ、埋もれていたのが何百年、それを工事で掘り起こした・・うんぬん・・」。
どうもこれが、この資料館のセールスポイントのようです。
「竜の頭」の所では伝説の説明までしてくれ、八郎潟とも関係あるらしく「はらあぁっ~・・」とか「ほほおっ・・」とか相づちを打っておき、適当な時に礼を言って、やっと開放された。
内部撮影禁止だったので、写真を撮りませんでしたが、撮れたら宣伝してあげたのになぁ。
食堂で、ウドンとオニギリを食べたが、オニギリはその場で握ってたので温かく、これもここのセールスポイントらしい。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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