HOME > 紀行文「目次」 > 熊野古道「目次」・伊勢路 > 7 多岐原神社
「三瀬川」の集落に入ると広い道端の隅で、二人のオババが立ち話をしており、通り過ぎながら挨拶すると「ご苦労さんですねぇ~」と返してくれます。
さらに歩いて行くと民家の側に、熊野古道・伊勢路の「三瀬坂峠」へ登る看板が立っており、注意しないと見逃すかもしれん。
その近くに高い石垣を積んだお寺があり、この付近に「多岐原神社」へ降りる道があるんじゃけどなぁ・・と思って当たりを見渡すと、やっぱしオババが民家の道端に座り込み二人並んで話しています。
ここら辺のオババ達は、道端で話しをするのが、昔ながらの古いシキタリなんでしょうか、
挨拶して「多岐原神社」の降り口を尋ねると「すぐそこの坂道を降りたら、森が有ってそこが神社です。ごくろうさんですねぇ」と言って、ここでも「ご苦労さん」という、ねぎらいの言葉が出ました。
「ごくろうさん」と言われると、信心も無く好きでホッツキ歩き、それほど苦労してないのに心が痛むなぁ。
教えられた坂道を降りて行くと、やがてノドカな明るい畑の側とは対照的に、人の手が入っていない薄暗い木が茂った砂利道へ入ります。
さっきのバサマが「森」と言った時に、「今時、この日本に森なんて残ってるんかいのぉ。林の間違いでねぇのか。」と疑ってたんだけど、やっぱしこおいうのを見ると「林」ではなく「森」だわなぁ・・バサマ疑ってすまんかった。
その森の中に小さな古風な「多岐原神社」が有り、参拝は後でする事にして、さらに続く坂道を少し下りて「三瀬の渡し」跡の河原に出ました。
昔は、ここが熊野古道・伊勢路の「渡し場」だったらしいですが、今じゃぁ目の前の対岸は、コンクリートの壁が出来て道が有り車が走ってます。
河原に大きな流木が転がっていたので、そこに腰を掛け、靴下も脱いで足を解放して休憩。
しばらくボケエッ~と、くつろいぎながら日向ぼっこをした後、越後屋を残して多岐原神社へ参拝しに行く事にしました。
越後屋が「どれ位してから、多岐原神社へ行けばいい?」と聞くので、「わからんなぁ・・気分次第で一曲で終わるかもしれんし、三曲吹くかもしれん。終わったら、鋭い音を出して合図するから」
「ふう~ん・・そいじゃ、それまでここで寝とるわ」と言って、流木の上にゴロ~ンと横になりました。
ううむぅぅ・・そのゴロ~ンと大の字になってダラしなく寝とる姿・形を対岸から見た人がいたら、上流から流れて来た土左衛門が流木に引っ掛かってるのと間違えなければ良いんじゃが。
カラスも勘違いして、突きに来なければええが・・・と思ったが黙っていた。
多岐原神社の周囲は、原生林のままで人手が入ってないためか薄暗く静寂さを保っており、小鳥のさえずり鳴いてる声が聞こえる中で尺八を吹いてると、さすが神域だなぁ・・と思います。
尺八に宗教観を求める人もいれば、求めない人も居ると思いますが、ワシは尺八に神仏を追い求めると言う宗教観はサラサラ有りません。
しかし、遍路をしていなかった昔と、遍路しながら神社仏閣・霊場等を巡り尺八を吹き続けている今とでは、その心境がなあぁ~んか違ってるんですなぁ。
その「なあぁ~んか・・」ちゅうのは、うまく言えまへんが・・・
誤解されるのを承知で言うならば、信心が足りんながらも自分なりの宗教観?が曲想に出て来るようになったと思う。
別の言い方をすれば、坊さんが本尊さんの前で経を唱えるのと同じ心境と言うか・・・自分の心中を自然に曲に表現しているというか・・。
遍路しながら吹き続けた曲数と、遍路経験を全くせずに家の中だけで同じ曲数を吹き続けた場合とでは、その結果は同じじゃろか?
ワシは、同じ曲数・練習時間を掛けても、その結果は全く違って来たと思う。
これは四国遍路で「庵の坊さん」から「美しい物だけを見ろ。ここぞと思う所で吹いてみろ。響きの良い場所を探せ。そおすれば何かがわかるだろう。」と教えてくれた結果だと思います。
三曲吹き終わって振り返ると、越後屋が階段に座って寒そうにボオッ~と待ってます。
良かったなぁ、土左衛門と間違えられて大騒ぎになる前に来て・・尺八の音は河原まで聞こえなかったので、適当な時に来たそうです。
三曲吹き続けると、20分位かかるからなぁ、日陰になっている多岐原氏選者の階段に座って待ってるのも、寒かったろうに・・・。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「手向」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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