「田原川」の橋を渡った線路踏切の側に、外壁がほとんど無い錆びた自転車置き場が有りますが、付近には駅も無さそうなのに、何でこんな所に自転車置き場が有るんだろ?
まぁ、それは良いとして深く詮索もせず、その中で昼食にしました。
しかしぃ・・ここは場所が悪かった・・。
なんせ通る車が踏み切りで一旦停止する度に、自転車置き場の中で小汚い老人夫婦がオニギリ食ってる姿が見えるだもん。
そりゃあぁ~・・皆さん面白がって、ついでに何しとるんかとジロジロ見て行きますわなぁ・・たぶんσ(*_*)でも、車に乗ってる立場だったら見ると思う。
食べ終わって道路から付近の写真を撮ってると、パトカーが来たので踏み切りで、ちゃんと停止するかな?と見ていると、踏切の所からわざわざバックして戻り、運転席からσ(*_*)に声を掛けます。
うん?・・不審尋問か?・・・「いい写真取れましたか?」、
あら・・・、違ったのね。(^O^)「はい、おかげさんで」
「これから、どちらへ?」 「八郎山へ登る予定です」 「一枚岩の桜は、今が満開でキレイですよ」
一枚岩・・なんて場所知らないでぇ・・これから歩く場所に有るんかな?と思い、場所を聞こうとしたら、パトカーの後ろに車が来たのでサヨナラしましたが、気さくなオマワリさんですねぇ。(^O^)
自転車置き場付近の田原川沿いの対岸に、橋を渡る神社が見え、なかなか古風な感じで、さぞかし由緒有りそうな魅力的な神社でした。
橋を渡って行くのはかまわんが、本殿は高い所に有るらしく、長い階段を上がるようなのでヤンピしました。
「佐部ノ口」集落を過ぎ、橋のたもとに桜の花が満開になっており、ふと見ると小さい祠が見えたので寄ってみました。
ちゃんと手水所もあり、それなりの由緒正しい場所のよおです。
「秀田地蔵縁起・・・」と彫った大きな石碑が有り、大理石で出来てるのですが、苔が生えていると言うか・・風化してるというか・・・字があまり読みとれまへん。
祠の側に有る古い五輪塔を見ると、いかにも由緒正しいカワイソーな物語の伝説が有りそうです。
帰ってからネットで調べてると「みどころ紀州路」というサイト(リンク切れてた)に書いてあり、「秀田」は「ひでた」と読むのかと思ったら「しゅんで」と呼ぶらしく、秀田城を築いた南朝方の武将が病気快癒を祈願した地蔵さんだそうな。
で、気になるカワイソーな云われは、永年行方不明になっていた秀田地蔵さんが、昭和初期に有志が発見して再建したらしい。
どおじゃ皆の衆・・地蔵さんが、いつの頃からか知らんが行方不明になっており、その間、秀田地蔵さんは野宿しながら雨風に打たれ、放浪の旅に出ていたのでしょう・・カワイソーに・・・
「上田原」集落を抜け、越後屋が民家の前でボオッ~と立っているので、どおした?と聞くと、民家の間に熊野古道・大辺路の「八郎山」登口標識が有ったので、待っていたのでした。
この八郎山は、けっこうキツイ上がり坂でんなぁ・・ネットで下調べをしてはいたが・・・
山道には時々、山ツツジの紫色の花が咲いており、季節を感じさせます。
「ヒーコラ」言いながら、急坂をだいぶ上がりきると尾根道になり、たまに木々の間から遠くが展望できます。
八郎山峠には、これまた古い地蔵さんが石垣に囲まれて奉ってあります。
この石垣を作るのは、タイヘンだったでしょうねぇ・・あんな急坂を担いで来なくちゃアカンのだから・・・。
山道を降りて行くと、やがて杉林の林道になり、麓の舗装道路との合流点に地蔵さんと「大辺路」の標識が有りました。
舗装道路を歩いてると、山裾に昔は人が住んでいたような家が有り、近くの農作業場では、人の代わりに番犬が2匹ほど吠えて挨拶してくれます。
この道の風景は、四国の「三原村」を歩いた時と似ているなぁ・・。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
以下、広告です。
老後の趣味に憧れのピアノを始めてみませんか? |
<レンタルボックス>の種類・料金を見る
<レンタルボックス>を自宅周辺で探す |
中学英語を使える英語に! |