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有田中学校、熊野古道・大辺路を歩く 2011.4.13旅行     2012.3.9掲載


紀伊有田駅と境界標柱/熊野古道・大辺路を歩く

 「紀伊有田」駅で車中泊をし、朝起きて近くの学校構内を散歩すると桜が満開ですねぇ。紀伊有田駅、熊野古道・大辺路を歩く

 「有田中学校」の表札が有りますが鎖が掛かっており、体育館を見るとはもう廃校状態になってます。

 同じ敷地に近代的な校舎が有り、そちら側に中学校が移ったのかと思って教室を見ると小学校のよおで、こちらは児童生徒が居るようです。

 追記 7年後の2018年に和歌山県の木造校舎撮影のため「有田中学校」に寄ってみると、昔と変わらない風情でした。(2020/3/1 追記)

 「紀伊有田」駅の待合室で出発準備をしていると、初々しい女子中学生が二人、駅舎に入って来てσ(*_*)らを見て挨拶をしました。

 ベンチに置いてある杖に結んである笠を見て「うわあぁ~、これ(笠の)中はどうなってるんだろお?」紀伊有田駅・待合室、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 杖から笠を外して見せると「どおやって被るの?」リクエストにお答えして、被ってみせると大喜びし、てへへへ・・・・こんな事で、女子中学生に喜ばれちまった、どうする、トッツアン。(^_^)v

 よっしゃあぁぁ・・そんなに喜ぶのならばと、越後屋の笠も外して二人に笠を被せてやり、ついでに杖を持たせて駅舎前で記念写真を撮ってあげました。

 「旅行ですか?」「熊野古道を歩いてるんだけど、大辺路って知ってる?」「知らない」

 あらまぁ・・地元でも熊野古道・大辺路の事を知らないんかな?

 「この笠に書いてある字は、四国遍路で使う笠に書いてあるんだけれど、「お遍路さん」って知ってる?」「知らない」かわいいお遍路さん、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 ふむうぅ・・小学校の授業では、お遍路さんなんて習わないのかもしれんなぁ。

 最近のドラマでは、よくカワイソーなお遍路さんのストリーが出て来て、少しづつ有名になってるんだけども・・まぁ、そのうち中学の歴史で習うじゃろう・・

 いや、有名な武将とか著名人は習うかもしれんが、世に隠れた遍路とか虚無僧とか言う、怪しいタグイの無名な者達の存在なんぞは習わんかもしれず、テレビドラマでも見ない限り、昔そおいう人達が居たという事さえ知らないかもしれない。

 準備が出来たので紀伊有田駅を出発すると、後ろから先程の中学生達を乗せた通学バスが追い抜いて行きます。

 これも熊野古道・大辺路での「一期一会」、帰ってから「かわいいお遍路さん」を絵葉書にして送ってあげると礼状が来ました。

 「有田」付近、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文     大辺路の標識、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文     コンクリ階段道、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 紀伊有田港を過ぎて、熊野古道・大辺路の旧道へ入ると、すぐに大辺路の看板が有り山道・・というかコンクリの階段を上がります。

高場平見の展望台、熊野古道・大辺路を歩く    高場平見の展望台より、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文    山道、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 途中に「高場展望所はすぐそこです」と書いた看板が有ったので、寄ってみると、確かにそんなに離れていない所に展望所が有り、ベンチも設置されています。

 心配した展望はそれほど樹木にジャマされていなく、紀伊有田港と共に遠くに潮岬が見えました。


車道より山道、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文    山道2、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文    車道へ、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文
立江地蔵、熊野古道・大辺路を歩く
 畑の側の山道を登って行くと、やがて車道に出て、少し歩くと再び山道に入り、再び下って車道へ・・この付近の行程は車道を行ったり、横切ったりする事が多い。

 車道をテクテク・・と歩くと、岩肌の穴に地蔵さんが奉ってあり、おまけに地蔵さんが、勝手にどこかへ出て歩かないようにするためか、入口には小石を積み込んで閉じ込めてあり、この付近の風習なのでしょうか?。

 「立江地蔵」というらしいが、この小石を積む云われを知ってる人がいたら教えてね。

梯子を上がる、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文    田並と有田の境界標柱、熊野古道・大辺路を歩く    山道3、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 車道を少し進むと広場のような所に来て、そこから山に向かって幅広い木の梯子を上がるようになってます。

 すぐに「田並と有田の境界標柱」という説明看板が有り、地域での境界争いになった石標が近くに立っており、そお言えば境界争いの話しは、「信濃33観音霊場」を巡った時にも有ったなぁ。

 山道を下って行くと車道を横切り、さらに山道を降ります。

車道を横切る・遍路札、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文    山道5、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文    絵馬の形の遍路札、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 この車道を横切った所から、白い木の遍路札のような物がワンサと枝に掛かっており、地元の田並小学校で作って設置したのでしょう。

 その遍路札の文面は「ゴミを捨てるな」というような禁止文句ばかりが書いてあり、その禁止文句の文面が、たまに1つか2つ程度だったら良いんだけれどもねぇ・・そんな文面がずう~っと続いてます。石畳の跡、熊野古道・大辺路を歩く

 これを見続けて歩く人にすれば、お前ら全てがゴミ捨てる極悪非道の悪いヤツばっかりだと責められてるような気がするんですねぇ。

 ゴミを捨てるなという、その気持ちは痛いほどわかるが、もおちっと違う優しい事を書いてくれた方が、歩きながら見る人の心が和むと思うがなぁ。

 いや・・別にスーパーのトイレに書いてあるように「いつもキレイに使って頂き、ありがとうございます」というような事を書けとまでは言わないけれどさぁ。

 遍路札も製作年度の違いなのか、白い絵馬のような形の物も有り、それには学校名・学年・名前が書いてあるだけで禁止文句が書いて無くシンプルです。

 こういう札も四国の遍路札と同じような役割をしており、それなりの設置意義は有ると思う。

 ただし、これが見事に先程の境界標柱より、「田並」側だけに付けられており、おおいぃぃ~・・・有田側の小学校ぉぉ~・・負けとるでぇ・・きばって境界標柱から、あんた方の方面にも付けてやりいなぁ。(^O^)

 ここの下り坂には石畳の跡が残ってました。

木枝注意、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文   車道より、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文   地蔵群、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 もうすぐ山道より車道に上がる付近で、木の枝が山道に出ているのに気付かず頭をぶつけちまった。「田並」集落へ、熊野古道「大辺路」を歩いた紀行文

 幸いにも笠を被っていたので、そんなに衝撃がなかったけれど、被ってなかったらオデコの付近をぶつけて痛かったろうなぁ。

 良く見ると木に、赤いビニルテープが巻き付けて注意を示していたが、気がつく人は少ないかもしれず、たぶん、他の人もぶつかったのだろうと思うが、いっその事、知らないフリして根本から切ってくれた方が良いのだが・・。

 車道を歩き、脇道へ下りると道端に地蔵さんの群れというか、あんまり手入れしてない雰囲気の場所が有り、最初見た時は無縁仏の墓石かと思い、そこを通り過ぎると「田並」集落へ。


 東雨、大辺路・熊野古道←前頁「道標」へ  次頁「つつみの地蔵」へ→つつみの地蔵、大辺路・熊野古道


 恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。

 当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がpixtaで販売されています。



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