HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 54 萱野峠
旅行日 2015.6.10 掲載日 2016.3.29
(「玉川」で)米商人が三日間ここに滞在して、この地方の馬を全部入れてしまったという。 二時間も掛け合った末に、荷物運搬の人夫を一人雇った。
私のために荷鞍をつけた乗用馬として、一頭のまるまると肥ったかわいらしい牝牛が提供された。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「玉川」集落を進むと、学校校舎が見える付近で「萱野峠」の標識が出ており、谷へ向かっての坂道を下りると鉄製の吊り橋が有ります。
「玉川大橋」と言い「越後街道の三大橋」の一つらしく、他の二つは「手ノ子大橋」「小国大橋」だと説明板に書いてありました。
玉川大橋の「萱野峠資料箱」に「ご協力金お願いします」と書いてあったので、大里峠「柄目木」で拾って「ポッケ・ナイナイ」しておいた100円玉を入れときました・・・安心してね。
十三峠の一つ「萱野峠」への山道を歩いてると、枯葉に埋もれかかった石畳らしいのが有ったので、越後屋に「これが石畳だと思うよ」と教えてやりました。
そしたら何を思ったのか、越後屋が杖先でそこらの枯葉をどかして地面を突き始めます。
「何してまんの?」
「いやぁ~・・石畳を掘り起こすのを、手伝おうと思って・・・」
「あぁたぁ~・・そんな杖先で突く程度じゃ、大して変わりまへんでぇ。(^O^)」
玉川でジサマが言ってたように、所々に石畳が露出されており、掘り起こすのもタイヘンでしたでしょう。
萱野峠頂上を過ぎた頃から、「第10回 石畳惚れ掘れ探検隊 第三班」看板に名前が書いてあり、石畳を掘り起こすのを手伝ったボランティアの人達なのでしょう。
回数を重ねて、連続して石畳を掘り起こしており、班毎に区間を決めて掘っているようです。
無償の奉仕活動で、このように看板に名前を書いて記念に残すのは、張り合いも出て良いアイデアだと思う。
イザベラ・バードが萱野峠を通った時は、地元住民による道普請で石畳が出ていたのでしょうが、道が使われなくなり埋もれちゃったのは時代の流れでしょう。
しかし、それを復興しようとボランティアしてる人達に対しては、エライと思い頭が下がります。
「黒滝」の標識が有り、滝と名付くからには大きい滝かと思ったら、谷川から流れ落ちる程度の小さい滝だった。
林道に出て30mほど歩くと「足野水」へ下りる山道があり、地図を見ると、けっこう離れており200mほど行かねばアカンのかと思ってた。
やがて畑と小屋が有り、人家が近づいたと思ったら「足野水」集落が見えました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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