HOME > 紀行文「目次」 > イザベラ・バードの道「地図と目次」(関東・東北編) > 92 碇ケ関
掲載日 2016.8.29 旅行日 2015.7.8
いたるところに激しい水音が聞こえ、大きな木が滑り落ち、他の木もまきぞえをくって倒れた。
岩石が崩れて、落ちながら他の樹木を流した。 目の前で川は水量を増していった。
地震のときのように音を轟かせながら山腹が崩れ、山半分が、その気高い杉の森とともに、前に突き出し、樹木は、その生えている地面とともに、まっさかさまに落ちて行き、川の流れを変えた。
山を下って行くと、自体はさらに悪化し、山崩れむが滝のように樹木や丸太、岩石を押し流していた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
「道の駅・やたて峠」野宿は良く寝れ、4時半頃に起きて出発。
マジメに昨日行った矢立峠・番所跡まで「チョイノリ」で行き、再び国道へ戻る時にカモシカと出会い、向こうも驚いてすぐに逃げて行きました。
イザベラ・バードは、とにかく「碇ケ関」までの間は、土砂崩れやら川の氾濫やら・・ドエレエ目に遭いながら行ったらしい。
途中に有ると言われる「折り橋」「船岡」の番所跡は、わからんかった
私達はりっぱな橋を渡って平川を越え、また半マイル先で別の橋を渡って同じ川を横切った。 私達は、最後の橋を渡ると碇ケ関に入った。
結局のところ、川は思ったほど減水しなかったので、碇ケ関で四日目を過ごさなければならなかった。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
番所橋から旧道へ入ると、川近くに「関所の跡」の青い看板が掛かっており、イザベラ・バードが「最後の橋を渡ると・・」と書いてるのは、この橋だと思う。
「関所之跡」写真の道方向には、昔は橋が有ったと思われ行き止まりになってます。
そこから「碇ケ関」の旧道はわからんので、こおいうもんはたいてい真っ直ぐの道が街道だと思ったので狭い道を行きました。
しかし、どおやら間違ってるらしく、ホンマに細い生活道路に入り込んじまい、あきらめて本通りに出て、「道の駅 いかりがせき」へ行きました。
「道の駅」は朝早なので閉まっており、施設の側に「関所の門」を移設したのが置いてあり、門から想像するに、けっこう大きな関所だったのでしょう。
イザベラ・バードは、この関所の事は何も記載してません。
そおでっしゃろなぁ・・・そんな関所の役人の事よりも、水害とか、ズブ濡れになってる方が気に掛かるでしょうなぁ。
私達は土曜日の朝早く出発した。 太陽はこの美しい地方全体に、あらゆる残骸や破壊物の上に輝いていた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
羽州街道は「剣ケ鼻」という所を通るらしく、調べてみると国道トンネルの上に道が有るらしい。
旧道「大鰐」付近で犬を連れたオバハンに聞くと「信号の所を上がればよい」というが国道車道への上がり口だった。
あきらめて信号まで行くと細い上がり口があり、そこだと思って急坂を上がると寺と墓でその先には道が無く、徒歩ならば行けるかもしれんと思いましたが、あきらめました。
ちなみに「剣ケ鼻」と書いてますが、今は「鶴ケ鼻」と言うらしく、そいでもって昔は景勝地だったらしいのですが、今は見るもカワイソーな崖崩れ防止のコンクリブロックに囲われています。
突然に、大きな平野に出た。 そこには緑色の稲の波が、快い北風に吹かれ、日光を浴びながら遠くまで続いていた。
この平野には森のある村が数多く散在し、山々にかこまれている。 一つの低い山脈は岩木山の麓を幕のように隠していた。
高梨健吉「イザベラ・バード 日本奥地紀行」より
イザベラ・バードが書いてる「突然に、大きな平野に出た。」と書いてるのは、たぶん「剣ケ鼻」を越して見た風景だと思う。
なんせそれまでは山に囲まれたような場所だったのが、バアッ~と平野が開けるのは「剣ケ鼻」を過ぎた所からです。
この辺は、津軽33観音霊場を自転車で巡っているので懐かしい。
「乳井」の旧道を行く予定が、新しいバイバス道路へ入っちゃったので、そのまま行きました。
平賀駅の休憩所で地図を整理している時、女子高校生が一人、一生懸命に鏡を見ながら化粧していました。
恥ずかしながら「YouTube」に尺八独奏「惜別の唄」を載せており、聞いて頂ければ泣いて喜びます。
当「遍照の響き」ホームページに掲載されている写真がで販売されています。
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